七夕と日本文化の崩壊

随筆

はじめに

本稿は、本日なめくじ(筆者)の大学で開講されました、「倫理学」の講義におきまして興味深い知見が得られましたので、私の学習の為にもここに書き記しておきたいと思います。その為、多分に教授がお話になったことの受け売りを含み、私があらかじめ持っていた知識ではないことをご承知ください。

また、それぞれに諸説があることでしょうけれど全てを網羅的に記してはいないこともご了承ください。文責:なめくじ

この文章で知れること

  • 現代の七夕の問題点
  • 本当の七夕はいつか。
  • 五月晴れ、五月雨が六月ではなく五月であるのはなぜか。
  • さつき(皐月)の「さ」の意味
  • 桜(さくら)の語源

今日は七夕、子どもたちは短冊に願いを込めて、大人たちは曇天を残念がりながら天空の織姫と彦星に想いを馳せているのでしょう。しかし、思い起こして頂きたいのは去年の七夕、地域によって多少の違いはあるのでしょうけれど、京都市は曇りであったと記憶しています。さらに遡って2018年の七夕についても、残念なことに悪天候に苛まれました。ちょうど梅雨の頃合いなのですから当然晴れることの方が断然珍しいのです。どうして織姫と彦星はこのような時期に逢瀬の契りを交わしたのか、はなはだ疑問でなりません。

恥ずかしながらそのような疑問を抱くのは20回目の七夕を迎えるまでなかった筆者ですから、その答えが「暦(こよみ)のずれ」であると知った折は驚きでした。

1872年、和暦でいうと明治5年の12月3日、この日を太陽暦明治6年1月1日とし、これまで使われてきた太陰太陽暦を廃止しました。太陰太陽暦とは、月の満ち欠けが一周する期間を一月(ひとつき)とするこよみです。太陽暦とは、地球が太陽を一周する期間を一年とし、細かなずれは4年に一度のうるう年によって調節したものです。西洋文明を目標として興国を急いだ明治政府は、西洋の暦を取り入れたのでした。この変革が七夕の齟齬を生じさせる要因となったことはもうお分かり頂けるかと思います。なぜ織姫と彦星は梅雨の時期に会おうとしたのか、実は梅雨の時期に会わせたのは我々日本人です。本来ならば梅雨明けの8月、晴れの多い時期に会うはずだったのです。

これと地続きの問題があります。五月晴れ(さつきばれ)という言葉を聞いたことがあるはずです。5月の晴れ、それは特段名前を用意するほど意味を持つものとは思えないと、ただ5月の晴れは五月晴れであると勘違いしている人(私もその一人でした)にとっては疑問のことでしょう。これにもこよみの問題が絡んでいるのです。いささか 大雑把な理解にはなりますが、旧暦は現在の日付の1ヶ月先を歩いています。ですから、旧暦の5月は現在の6月、梅雨の時期に当たるわけですので、五月晴れとは梅雨時の晴れ、つまり長雨が続く最中での珍しい晴れという意味を持つわけです。あるいは五月雨(さみだれ)という言葉についても、現代のこよみと照らし合わせてただ単純に5月に降る雨という理解は誤りであり、現代の6月に降る雨、つまり梅雨の長雨という理解が適切なのですが、これは現代日本人にはあまり理解のできない感性といえましょう。

最後にもう一つ記しておきましょう、五(さ)月、五(さ)月晴れ、五(さ)月雨という風に、一貫して使われるこの「さ」という音には実は「稲の神」という意味があります。古来稲の神は、五月になると天を下って稲に宿るものと信じられ、農民は一斉にこの時期に田植えを始めました。実際梅雨時の旧暦五月に田を植え始めるとよく育つので、当時は信仰と科学が表裏一体であったことをよく示しています。稲の神は信仰を通して、科学未発達の百姓に自然の理について教えてくださったとも解釈ができます。ちなみに、稲の苗のことを早苗(さなえ)、その年初めての田植えに際して行う儀式で早苗を植える女の子を早乙女(さおとめ)といい、これらの「さ」もまた稲の神を意味します。また、古来から日本においては、山といえば比叡山を指したように、花といえば桜を指していました。この「さくら」の語源は、「さ」の「くら」、「さ」の「座(古語で座席とい意味です)」、つまり稲の神が腰を下ろす座席という意味が元々はあったのです。現代日本人は極めて無自覚に花見をしていますが、元来は民俗学(Folklore)でいわれるところの「予祝」であり、これから田植えを行って豊作を願いつつ前もって祝うという意味が込められているのでした。

江戸時代に用いられていた不定時法など、古く日本人が生の営みを続けた時空を近代化に伴って手放さなければなかったということは承知していますが、キリスト教文明のこよみを丸々借り受けて使うというのはいささか工夫が足りなかったのではないでしょうか、もう少し東洋的で、日本文化に神話的なこよみを生み出せていたのならば、上のような文化の無理解を多少は改善できていたのではないでしょうか、というような反省は今となっては遅すぎるのかもしれませんが、数千年と脈々と受け継がれて、これからもまた受け継いでいくに違いない日本文化について、織姫と彦星の逢瀬に想いを馳せつつ考えるというのは全く無意味ではないように思われます。

旧暦の七夕 8月25日

参考文献

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