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囚人のジレンマ、社会的ジレンマ、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)について説明します。
文責:なめくじ
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囚人のジレンマという言葉を聞いたことはありますか。共犯の容疑で囚人AとBは捕らえられた状況を想定してください。そして取調室で、「君が自白して相棒が黙秘をしたら3ヶ月で出してやろう、だが相棒は10年間収容されることになる。その逆の場合は君が10年で相棒は3ヶ月で出られることになる。二人とも自白したならばどちらも10年、二人とも黙秘ならばどちらも1年収容されることになる」と告げられます(以下の図は引用しました)。

共犯者と自分が最も得をするのは双方黙秘を貫くことですが、万が一共犯者が自白してしまえば自分は10年間も閉じ込められてしまう、それならば自分が自白したならば共犯者が黙秘を貫いた場合3ヶ月で出られる、とはいえ共犯者も自白してしまえば共に8年間も収容されてしまう、というふうに一方を実現させようとするともう片方が不都合な結果になるという状況、つまりジレンマが発生します。これを囚人のジレンマといいます。
ここで判明するのが、両者にとって黙秘を貫くよりも自白をした方が相対的に刑期が短くなるということです。したがって、囚人が合理的な判断をする限り自白を選択する(つまり「裏切り行動」をとる)ことになります。このような状況が社会的な規模で発生した場合は社会的ジレンマと呼ばれ、有名な例では「共有地の悲劇」があります。
「共有地の悲劇」もしくは「コモンズの悲劇」は1963年に生物学者ギャレット・ハーディンが発表したアイディアです。誰でも利用できる共有の放牧地において、牛飼いたちは各自の利益を最大化する為にできるだけ多くの牛を放った結果、牧草が食い尽くされて全員の経営が立ちいかなくなるという社会的ジレンマの代表例です。一見資本主義社会の縦横無尽な開発よりも環境に優しいようにみえる共有地という社会主義的な場所でも落とし穴があることが示されました。しかしながらこのような状況が実際に起こるのかという問題提起もなされ、実際現代の日本では空き家や里山の放棄など、過剰利用ではなく過少利用という問題も生じています。
このような社会的ジレンマは車社会に移行しつつある日本でも、自動車を使うことを「裏切り行動」、公共交通機関を用いることを「協力行動」として当てはめることができます。電車やバスというような公共交通機関と、自動車やバイクというような個人所有型の移動手段を、どちらが便利であるかという観点から比較してみると、あらかじめ決められた時刻表や行動範囲に制限されない後者の方が優位であることが明らかですから、個人の利益、利便を追求する限り、「裏切り行動」を選択するのが自然といえましょう。
しかしながら、この行動は経済的な理由から自動車を所有できない人や車に乗ろうと思っても乗れない高齢者、学生、障害者などの社会的弱者の首を間接的に絞めるものでもあるのです。なぜならば、自動車社会の程度が進行すればするほど公共交通機関は衰退の一途を辿り、ローカルバス路線の運賃が割高になったりそもそも廃線になってしまったりという不利益を被るのは、決まって「裏切り行動」を選択できない社会的弱者であるからです。もちろん、普段は「裏切り行動」を選択できる人であったとしても、公共交通機関の弱体化の影響は受けてしまいます。
この社会的ジレンマを打開する方法としては、個人所有型の移動手段を用いる経済的優位性を、税金をかけるなどによって引き下げること、あるいは公共交通機関の利便性を向上させることによって、「協力行動」を選択させる誘引を作るなどが挙げられます。
参考文献
長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志『社会学』新版、有斐閣、2019年。
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