京都伏見の外れにある神域について
山科の方へと通ずる峠道を分け入った先に、記憶の澱となりつつある神域があるという噂を思い出したのは、丁度、大学終わりに竹田駅の窓口に寄り道したときのことでした。その噂を教えてくれた、将棋部の先輩の話を聞くには、峠を上る道中に古めかしい鳥居と、その先に続く小道があって、それは本当に小さな分かれ道なものですから、目を凝らして歩いていなければ気付けないそうで、その道をしばらく辿っていくと、やがて奇妙な鳥居と古社が現れ、えもいわれぬ神秘性を帯びているというのです。しかし、先輩はいいかげんな人で、自分の目でその社を目撃したわけでもなければ、身内に目の当たりにした者がいるわけでもない、つまり、誰かから聞いた眉唾話を得意げに語って聞かせたのです。そんな不確かな話を忽然と思い出したのは、京都盆地の熱気にあてられたのか、それとも人知を超克する何かに導かれたのか、今となっても判然としなのですが、そのとある夏の午後について、ここに記しておきたいと思います。

入道雲が桂川の方角に高く立ち上がる日でした。竹田駅で所用を済ませ、さてこれから帰宅しようかという頃合い、先に述べた聞くに疑わしい談話を思い出しました。漠然と心惹かれるその場所に行ってみようかと考えましたが、いかんせん竹田駅から峠までは、京阪電車とJR線をまたいで、さらにそこから峠道を登らねばなりません。専らインドアを嗜む私には到底辿り着くことはできないでしょうから、見つからなくてもよしとして、とりあえず、バスに乗って行けるところまで行ってみようという考えに至りました。時刻表を覗くと1時間に1本しかないバスが、丁度良いタイミングでやってきました。まるで迎えにきたようです。車内ではお年寄りがまばらに座していましたが、峠に差し掛かる手前にある大病院でみな降りてしまいました。それから一つか二つほど停留所を通過し、そろそろ峠の頂上に差し掛かりそうでしたので、深草馬谷町というバス停で下車することにしました。そこからバスで登ってきた道をくだります。往来は唸りを上げる大型バスがほとんどで、傍に鬱蒼としげる竹林はざわめき、なんだか落ち着かない峠です。

自然、小走りに坂道を下りて、雑木林がほんの少しだけ途切れている所があったものですから視線をやってみると、その緑色の割れ目の先に、ちょこんと朱塗りが浮かんでいるのを発見しました。

人の通る道とは思えないくらいに荒れていましたが、どうやらその先に道は続いているらしいのです。その割れ目は異界に通ずるような深淵を秘めていて、ともすれば足がすくむ心地ではあるのですけれど、歩を進めることにしました。
竹林を分け入り、いつの間に現れたのか知れぬ小川に耳を澄まします。どこか怪しげで、この世のものとは思えない美しさです。またしばらく歩いていると、伏見土木事務所の掲げた注意書に出会いました。平生の私ならばきっと引き返していたことでしょう、しかしながら、その日はやはりおかしかったのです。ひとまず、危険を感じればすぐに引き返すとして、先へ進むことにしました。妙な空間に気を取られていたからか、バス停から10分も歩いていないような気もしますし、先輩の話を聞いたときから、ずっと歩き続けている気もする、そんな風な、奇天烈な時間の流れを断ち切ったのは漆黒を映す沼でした。

厳かな静寂に満ちた水辺は異界でした。時折、水面には波紋が浮かび、木々にさえずりを聞きますが、いずれも主人の姿は見えません。どこかずっと離れた、この世ではないところから聞こえてくるのではないかとさえ思われました。ずいぶん長い間立ちすくんでいたのでしょうか、遠く、鈍い音が迫り来て、やがてそれが夥しい蚊柱だと気付いてからは全力で坂道をよじ登り、ようやく大群からは逃げ切りそうだという時分、目前に現れたのが石造りの、世にも奇妙な形をした鳥居でありました。そういえば、先輩の話を思い返してみると、堂本印象という名のかつて京都で活動していたらしい芸術家が、この社に寄贈したのだと言っていました。

石造りなだけあって、所々苔の緑がへばりついてはいますが、あたりに倒壊した社屋や朽ち果てた朱鳥居とは異なって、今でも霊界とこの世の入り口であり続けているようです。きっとこの石門が瓦解し、風と共に去りぬべき頃には霊験もまた自然に帰っていくに違いありません。……というようなことを考えていたのは思いの外一瞬のことでありまして、というのも背後からやってきた蚊柱が、しきりにたかってくるものですから、仕方なしに写真を1枚あくせくと残して、境内を駆け抜ければなりませんでした。通り過ぎる風景には、ピサの斜塔の如き鳥居や倒壊した廃屋、霊験を授かろうとしたのでしょう、ある町の名前が刻まれた石祠が自然に帰りつつある様子などが見て取れます。

無我夢中で境内を駆け上り、気が付くと進むべき方向も劃然としない荒地へと至りました。これは困ったと、あたりを見回してようやく木々の隙間に社殿を発見しました。石造鳥居と似通った鳥居がありますから、ここもまた先ほどの霊地と地続きなのでしょうけれど、格段に人の世に近づきつつあることが肌の感覚をもって知れました。



境内を出たあとに、木々がひらけた山の頂上らしきところから、宇治の河畔に鎮座するモルタル造の城郭を望み、平常の世界に抱く安寧の感を募らせたのを、鮮明に覚えています。
執筆 寺田陽一郎
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