【フロム】『愛するということ』は技術である【書評】

書評

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読了いたしましたので、要約とともに、読解のつぼどころについて記しておきたいと思います。

ご存知の通り、フロムは『自由からの逃走』で知られる、20世紀の哲人です。フロムの人物像についてご存じになりたい方、『自由からの逃走』のあらましについてご存じになりたい方は後日、投稿予定のページをご覧ください。

目次

愛は技術である。

まず、フロムは愛についてよくなされる誤解について提示します。一つ目は、私たちは「いかに愛されるか」ばかり関心がいってしまいますが、「いかに人を愛するか」が問題だということです。愛したいと思う人さえ見つけられれば、愛するなんて取るにたらない、そうあなたはお思いになるかもしれません。しかし、これがなかなか容易ではなく、その実践には能力や技術が必要になるのです。『愛するということ』の原題が、『The Art of Loving』、つまり、「愛の技術」であることが、愛することの本質が技術であることを端的に示しているでしょう。このフロムの言明は、愛することが能力であるという残酷な現実を示しています。つまり、愛することは万人に与えられた行為ではないのです。

孤独から逃れる方法としての愛

万人に与えられた行為でないにもかかわらず、愛することは、孤独から逃れるという、皆が抱く欲望の根源的な解決方法だというのです。愛すること以外では、たとえば、大いなる権力に媚びるという方法は、全体主義という化け物を生み出してしまいますし、あるいは、セフレに孤独を癒してもらうのも、一時的なものに過ぎず、根本的な方法ではありません。ゆえに、ほんとうの意味で他者を「愛するということ」が必要になるのです。

マルキシズムの影響

愛とはなにか、説明を続けます。フロムによれば愛とは、受動的な行為としての労働と対比して、能動的な営みであるそうです。このアイディアは理解されにくいかもしれません。強い不安と孤独感から、もしくは野心や金銭欲から労働に没頭するのも、実は生産関係を中心とする経済のあり方が、人間のありようを規定するので、労働は受動的である、というのがフロムの言うところではありますが、ここにはマルクス思想の影響が強くあらわれているといえましょう。

愛の4要素

さて、愛が能動的行為とのことですが、その能動性の本質とは何でしょうか。フロムは、配慮・責任・尊重・知の4要素をあげます。「愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない」というほど、配慮の重要性を説きます。そして、責任はResponsibility、つまり、他者が何かを求めてきたときに応答すること、他人の要求に応じられる用意があることを指します。しかし、ここに尊重が欠けてしまうと、責任はかんたんに支配や所有に転落します。これは、子どもを所有物のようにあやつる親を想像していただくとわかりやすいでしょう。そして、最後にあるのが「知」、他者を知ることなしには、真の意味で愛するということはできず、うわべだけの関係になってしまいます。これらの4要素は、たがいに依存関係にあり、友愛でも、母性愛でも、また、恋愛、自己愛、神への愛に適用するにしても、一つも失くすわけにいきません。

愛の実践

これまでに述べてきたような、愛の理論について熟知できれば、きっと他者を愛することもできるはずです。しかし、フロムはその実践が最も困難であるとして、具体的方法論を最終章に書き記しています。市民向けに書かれた本書は格段に読みやすい内容となっています。また、本記事には書き尽くせない点も多々ありましたので、ぜひ一読をお勧めします。

フロム生誕120年記念版(紀伊國屋書店)は装丁がかなり美しいです。

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