新釈文壇昔ばなし

随筆

 原作 谷崎潤一郎     著者 寺田陽一郎

 昔、築地市場にほど近い鳥屋で、鏡花と鶏鍋をつついたことがある。その店には度々、芥川と里見も交えて、文芸評論をたたかわせたこともあったが、その日は鏡花と私のふたりで逢っていた。こういうときは、女将さんの世話にあずかって、蝋燭を持ってきてもらう。少し前までは、燭台のうえをたゆたう細い燈りをたよって食事をする料理屋しかなかったものであるが、次第にそういう店もぽつりぽつりと少なくなって、いよいよこの店も西洋式の電灯を天井に輝かせるようになってしまった。だから、今では二人だけのときはこうやって、古めかしい燭台を持ってきてもらう。かすかな燈りのなかでは、吸い物碗も、障子の和紙も、そして、普段は病的なほどに真白に移る鏡花の肌も、どこか闇を条件とする美学をよりしろとして、いっそう美しく映えるのである。

 女中が私に冷酒を、鏡花には例の、ぐらぐらと煮えたぎるまで燗をつける、俗にいう泉燗を持ってきたので、それぞれ手酌で乾杯した。彼はいわずもがな過敏な潔癖症であるので、不用意に触れ合うということを、とりわけ私のような粗放な性分のものと触れ合うということを厭っている。

「そういえば、徳田秋声さんにこんなことを言われましたよ。『紅葉山人が生きていたら、君はさぞ紅葉さんに可愛がられたことだろうな』ってね」

 私がわざと得意げにいうと、「ほう、それで」と鏡花は返すが、女中が鶏鍋の仕込みをする奥に見える彼は、平然としているように見えて、顔をややこわばらせているのがこちらに知れた。彼は熱狂的な紅葉の門下なのであった。旧師の死後も、朝起きて最初にするのは、かつての写真を前にひざまずき、礼拝することなのであるから、その崇拝ぶりといったらない。

 一方、秋声もまた、紅葉の門下であるのだが、彼とは事情が異なっているようで、いわく「実は紅葉よりも露伴を尊敬していたのだが、露伴が恐ろしかったので紅葉の門に這入った」らしく、それゆえに、「紅葉なんてそんなに偉い作家ではない」と鏡花の隣でいったおりには、大いに憤慨し、殴りかかったそうである。

 なぜ紅葉を崇拝する彼に、あえて気に触るような自慢話をしてみせるのか、それはムッとした鏡花の顔が可愛らしいからにほかならない。

「まあ確かに、私も日本橋の下町育ちですから、生粋の江戸っ子である紅葉先生とも話のウマは合ったでしょうね」

 鶏鍋もぐらぐらと煮えてきたようなので、私はどんどん箸をつけていくのだが、彼はむっつり腕組みをしたまま平静を装っている。が、先ほどよりも機嫌が悪くなっているのは明らかであった。その所以は、私と紅葉先生が江戸っ子であるのに対して、彼は金沢人であったからである。華やかなりしお江戸に憧れ、紅葉の門を叩いた彼にとって、江戸人たらんとするも完全に江戸人にはなりきれないコンプレックスが、いつも胸につっかえている。「そんな座りかたをする江戸っ子があるもんじゃないな」と芥川が、膝立て座りをする鏡花をからかったときも、動じないそぶりを見せて、「しかし君、……」と適当な反論を並べていたが、私には苛立ちを内燃させているさまがうかがえた。

 おりを見計らい、私はこう切り返した。

「でも、ほんとうに先生に気に入られたかは判然としませんね。同じ江戸人だといっても、私には多分に反江戸的な気質がありますから、きっとどこかで先生とも食い違いが生じて破門にされてしまうか、あるいはぼくから出ていったでしょう」

 そういうと鏡花は、もしかすると勘違いかもしれないという程度の、ほんの微笑を浮かべて、「ま、紅葉先生は懐の深いお方だから、谷崎くんのそういうところも可愛がってくれただろうよ」と、ひとひらの虚栄心を覗かせながら、鶏鍋に手をつけた。

「それにしても、秋声のやつは先生のことをまるで分かってないな。従前に話したとおりだが、あいつ先生の死因をまんじゅうの食い過ぎだとかいいやがって、――」と、秋声に対する積もり積もる愚痴を発露させる。このような場合はもっぱら聞き役に回ることにしているが、そのこころは当然、酒精が血液を占めるようになり、じわじわと紅潮する鏡花の顔色を面白がっているからに違いない。

「――それで、ぶん殴ったのには私に非がないこともないと思っているし、何より仲を取り持つ会を開いてくれた里見くんには、会をめちゃくちゃにしたことはたいへん申し訳ないと思っている。だけれど、もう一度仲裁を取り次いでくれないかと頼んでみるとね、『何度機会を作ったって、また狸寝入りされるのですから一緒です』って、里見くんまで怒らせてしまってね。もっともだと思うよ。まったくどうしたものだろうね」

 ひととおり秋声との仲違いの経緯について話し終えると、酔いもほどよく回って気持ちよくなってきたらしく、今度は私を咎めようとしてくる。

「ところで谷崎くん、君はいつもそうだが、生焼けの鶏肉を食って腹を壊すのは君の自由であるにしても、私の分までことごとく平らげるのはやめてくれたまえよ。ここに仕切りをもうけることにしよう。仕切りよりも先にあるのは私の領分だ。私の領分にある鶏には決して箸をつけてはいけないよ」

 少しくらい火が通っていなくところで問題としない私と、肉がかちこちに縮こまるまで決して手をつけない彼は、コントラストをなしている。さきに、異常に熱された日本酒を飲んだように、彼の甚しい潔癖症は生活全般に徹底されている。有名なはなしでは、彼が苦学生で合った時分から親しい味なのであろう、豆腐を好んで食べるのであるが、「腐った豆」という読みくだしが気に入らないらしく、「腐る」の字を府に置き換えて、「豆府」と読ませている。あるいは、見た目からして奇怪極まりない生物、格別エビや蛙のようなものは口に入れるどころか、近寄りたくもないと平生他言していたのだが、あるとき郷里の金沢からやってきた旧友を、横浜の中華街でもてなしたおりに、知らず識らずのうちに蛙の唐揚げを食ってしまうということがあり、ただちに胃薬を服用したと聞く。

「まあそんなに怒らないでください、このあと十分に可愛がってあげるんですから」

「なんのことだか」

 とぼけるようにそういう彼が、ことさらに愛おしく思えた。

「わかりました。じゃあ今から可愛がってあげましょう」

「おい!おい!何をする!」

 二本ゆれているうちの、一本の蝋燭を消すと、強気に怒ってみせるのだったが、年下の私の方がしっかりとした体格であるから、華奢な鏡花は抵抗できようはずもなく、何より抵抗しようという気概も、心の奥底には微塵もないのであるから、角帯を解いて、掛け襟をはだけさせるのはいともたやすかった。

 今でも蝋燭を消した刹那にただよう独特の香りに出会うと、暗闇のなかで不本意そうに赤らむ鏡花の香りが思い起こされる。

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