18世紀英国に端を発する産業革命より後、農村と、農村ではない都市の違いがよりはっきりとしたものになり、二つの社会をそれぞれ、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトと名付けたのが社会学者のテンニースでした。本稿では、それぞれの社会のあり方とどのようなものであるのか、概説します。
ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
イギリスからはじまった産業革命の風は、次第にヨーロッパ大陸へと吹き込みました。テンニースが拠点としていたドイツも例外ではなく、次々とあらわれた大都市には、かつてあったような「信頼に満ちた親密な水いらずの共同生活」の面影はありませんでした。このことに注目したテンニースは、家族や農村、小さな都市に特有な結びつきのある社会をゲマインシャフト、大都市に特有な、人と人の紐帯がどんどん希薄になっていく社会をゲゼルシャフトと呼びました。テンニースはゲゼルシャフトを発見した本人でありながら、そのような社会のあり方に対しては好意的ではなかったようです。ゲマインシャフトを、本質意志に基づいて、ありのままの感情で結びついた社会のあり方としたのに対して、ゲゼルシャフトを、選択意志に基づいて、じぶんの利害関係を念頭に結びつく社会のあり方とみなしました。また、「ゲマインシャフトは持続的な真実の共同生活であり、ゲゼルシャフトは一時的な外見上の共同生活にすぎない」とまで述べています。このように、新しく出現した社会のあり方に否定的であったテンニースですが、資本主義が発展し、都市が拡大するにしたがって、社会のあり方はゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと移行し、この推移は必然であるとも、悲観的に観想しています。彼とは対比的に、近代になって新しく生まれた社会に好意的な反応を示したのが、デュルケームやジンメルの社会学者ですが、彼らはどのように語ったのかは、また別の記事にまとめるとしましょう。
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