【概説】機械的連帯・有機的連帯とは何か【社会学用語】

社会学用語概説

前の記事では、テンニースによるゲマインシャフト・ゲゼルシャフトについて見てきました。目的意識を持った、利害関係を念頭に結びつく人々のつながりであるゲゼルシャフトが、近代化が進むにつれて優勢になるのは必然とみたテンニースは悲観的でしたが、同じく近代が産み落とした共同体を注視していたデュルケームはどのように捉えたのでしょうか?この記事では、デュルケームのいう機械的連帯・有機的連帯とは何なのかを概説します。

機械的連帯とは何か

デュルケーム(1858〜1917)は近代社会とそれ以前の前産業社会を決定的に分つものとして、分業に着目しました。分業が盛んになる近代社会(つまり産業的な資本主義社会)について触れる前に、分業があまり行われていなかった前産業社会について考えてみましょう。

その社会は、概してこのようなものであったといえます。ある共同体に住まうある人は、太陽がのぼる頃に目を覚まし、朝ごはんを食べ、畑を耕し、日が沈む前には家に帰って、夕飯を食べ、そして眠る。他の農業を行う人たちも同様の生活を送り、それらの人々は共通の村落で暮らしています。このように、生活習慣やものごとの考え方を共有し、共有しているという理由によって結びつく人々のあり方を、機械的連帯と呼びました。似たもの同士が集まって作るコミュニティですので、「類似による連帯」とも呼ばれますし、また、類似の諸個人によって構成されるこのような社会は、あたかも同質な諸環節からなる環虫類(イモムシを想像してください)のようであるとして、環節的社会とも呼ばれます。

有機的連帯とは何か

一方、分業が盛んに行われるようになった資本主義社会は、概してこのようなものであったでしょう。すなわち、一つの商品を生産するために、ある人はもっぱらデザインを担当し、ある人はもっぱら組み立て作業を担当し、ある人はもっぱら広報にあたり、ある人はもっぱらマーケティングを行なっている、というような特徴がある社会です。つまり、みんながバラバラの仕事を担当し、誰かが欠けてしまうと成り立たない(相互に依存しあっている)社会です。このような社会を有機的社会、あるいは単純に分業社会と呼びました。ちなみに、有機的の意味は、

  • 多くの部分から成り立っていて、それらが密接に関わり合い、一つの全体をなしながら機能していること

です。

デュルケームとテンニースの展望の違い

同時代人のテンニースがゲゼルシャフトを悲観的に捉えたと述べましたが、デュルケームはこの新しい社会のあり方をどのように捉えていたのでしょうか。それはおおむね好意的であったようです。分業社会では、それぞれが自分にあった職業に就くことができます。デザインが得意な人はデザイナーに、夜型の人は小説家やバーのマスターに、それぞれの個性を十分に発揮しながら、自分らしく生きていくことができるでしょう。これはゲゼルシャフトを真の共同体ではないとしたテンニースとは大きく異なる見解です。

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