「金融教育」を評す

随筆

文責:寺田陽一郎

耳をすましてみると、足音が聞こえてくるはずだ。「金融教育」というもっともらしいオブラートを包んだ「新自由主義」の足音である。果たしてオブラートの中身は良薬か、それとも我々生活者を、際限なき地獄へと引きずりこむ麻薬であろうか。その答えは既に、歴史が示している。

今年の春(2022年4月)から、文部科学省による学習指導要領の改訂により、高等学校では「金融教育」の機会が設けられる。既に小中学校では取り入れられており、高校ではより実務的に、投資あるいは投機を通じて「次世代の”生きる力”」らしきものを培うようである。ところで、この”生きる力”とは何であろうか、私は問う。生活を彩る料理術の力か?それとも、友人との約束を忘れないためのスケジュール管理の力か?あるいは、1限に遅刻しないための絶起の防止術か?はたまた、不埒な言動によって友人を傷付けない力であろうか?私はこの類の能力にめっぽう恵まれていないのであるが、さておき、これらの生活力は金融とは相容れなさそうなのは確かである。では何か。それは他ならぬ、日本で綿々と受け継がれて久しい”伝統芸能”、低賃金への忍従をより容易にさせるためである。

日本では実質的な賃金が、(他の先進諸国では上がり続けているのにもかかわらず!)20年近く下がり続けている。そしてこの傾向は、さしあたり改善される気配はない。為政者が「新自由主義」からの脱却を標榜しておきながら、実際の挙動は「新自由主義」の挙動そっくりそのまま、安価な労働力、すなわち外国人労働者からの搾取を続け、貧困にあえぐ自国民には、残虐にも「自己責任論」の刃を向ける。大学を卒業したとしても、後に残るのは年収400万の、配偶者と子どもと暮らしていくには心許ない(といっても、年収400万は恵まれた部類である)生活と、4年間の学生生活で積み立てた借金であった。余裕のない生活は、クソゴミ上司によるパワハラのがんじがらめからの退路を絶ち、転職を考慮するまもなく自殺へと追い込んだ。しかし、そのような状況が常態化した社会では、さしたる珍しさもない自殺は忘れ去られる運命であり、かといって他者を巻き込む悲痛な最期を遂げたとしても、向けられるのは「一人で死ね」「人様に迷惑をかけるな」という非情な攻撃性である。誰かに愛されるべき人が、人知れず死にゆく悲しみ、夢ならばどれほど良かったことであろう。ここに我々生活者が迎えている限界の一つがある。

そのような、限界を迎えつつある我々に用意されていたのは――金融であった。労働から得る賃金が少なくとも、勝手に増える資産があるならば生活者は困らない。したがって、政府は(広義の)生活保護をしなくとも君たちは生きていけるであろう。それに、高等教育で「お金の増やし方」は教えたじゃないか。せっかく教えたのにも関わらず、資産が吹っ飛んだ?一瞬にして400万が溶けた?馬鹿を言うな!君たちがしっかり学んでいないから悪いのだ!政府の責任ではない。しっかり勉強をしなかった君たちの自己責任である――という政治家の戯言が、今にも聞こえてきそうである。なぜならば、歴史が既にそう示しているのだから。

少しばかり、我々の国で果たした金融の大立ち回りを参照してみよう。平山によれば(『マイホームの彼方に――住宅政策の戦後史をどう読むか』筑摩書房、2020。)、日本の戦後住宅政策は次のような経過を辿っている。第一に、戦後の著しい住宅不足の時代である。ここでは、家とも呼べないような小屋に暮らさざるを得ない人がおびただしく、一刻も早くこの状況を改善するために、公共住宅の建設はもちろん、ある程度の所得を持っていた中流以上の階級では、積極的に持ち家の所有を推奨した。日本が世界的な持ち家大国となるに至る黎明である。第二に、高度経済成長からバブルが弾けるまでの好況の時代である。ここでは、一億総中流時代と呼ばれるほどの分厚い中流階級が形成され、積極的にローン(金融)を活用しつつ、持ち家の所有が拡大された。第三に、今日に続く不況の時代である。ここでは、本来ならば持ち家を所有するには十分ではない人々にも、金融商品(このとき売り手の主体が政府組織から民間銀行へと変化した)をより積極的に活用させ、持ち家の消費を推進した。当然ながら、不測の事態によって働けない、転職しなければならない、給与が下がらざるを得ない境遇に陥った際、彼らはローンの返しきれていない住宅を売却しなければならないのであり、その際に残る負債は低所得者を苦しめた。

しかし、好況にかげりの見え始めた第二の時代と、不況を隠しきれなくなった第三の時代では、政治家たちは何が何でも持ち家所有を推進しなければならなかった。日本の経済成長が、住宅をはじめとする建築業なくして存立不可能であったからである。したがって、日本の経済成長は金融による消費の不自然な拡大――いうまでもなく、不自然な拡大には相当の代償、すなわち、貧富の格差拡大、自然環境の汚損、マイノリティの排斥がともなう――に支えられていたと理解される。この延長から金融を捉え直してみると、その背後には、政治家たちの時代錯誤で弱者排斥の残酷極まりない攻撃性が、見え隠れしている。既存の経済システムが迎える限界が明るみに出つつある今日、我々が、そして教育の現場が目指すべき方向は、「じぶんが生き延びる方法」ではなく、弱者を社会的に包摂する方法の模索ではないだろうか。

主要参考文献

平山洋介『マイホームの彼方に――住宅政策の戦後史をどう読むか』筑摩書房、2020。

東証マネ部!「2022年度から高校の「金融教育」はどんな内容に変わるの?」

https://money-bu-jpx.com/news/article034276/(最終閲覧:2022/01/22)

コメント

タイトルとURLをコピーしました