試論、闇の境界線が解け合う京都は何を問うか

随筆
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はじめに

暮らす人々の何気ない日常を水面に映す鴨川沿いを、おおよそ七条のあたりから北山に向かってそぞろ歩けば、思いがけず、知られざる京都の横顔を目にする。ちょうど東海道線の高架をくぐった左側には、典雅な都の風情とは趣を異にする、すなわち、デカダンな家屋とアパートメントが敷き詰められていて、その地域の事情を知らなくとも、何事かの特殊の事情を察せずにはいられない。そこは、職業や出自による差別を受けた在日コリアンをはじめとする人々が、長らく暮らしている地域である。

五条通にさしかかる手前には、鴨川のすぐ脇を流れる高瀬川沿いに色街の残香をわずかに漂わせている。宮川町や先斗町、上七軒、祇園甲部、祇園東のオフィシャルな五花街とは異なって、娼妓の混在するほの暗い歴史をもつ五条楽園は、俗にいう「赤線」として長く商われていたが、今では取り締まりは厳重になり、わずかに往時の建築を今に残すばかりである。

しばらく歩くと、四条から三条にかけての、今日の繁華を極める界隈を通り過ぎる。今ではアベックが肩を寄せ合い等間隔に並ぶ三条河原も、ひと昔前までは対照的に、死を待つ罪人たちが殺伐と頭を垂れていた。なかでも残酷なのは豊臣秀次の側室の処刑である。謀反の疑いをかけられた秀次は自殺を余儀なくされる。持ち帰られた首だけの秀次を前に、その側室といとけない子どもたちは惨殺される。そのとき鴨川の水は赤く染まったという。人々の往来が途切れない三条大橋と賑やかな木屋町通のそばに、ひっそりとたたずむ瑞泉寺は秀次らの非業の死を今に伝えんと建立された寺院である。

三条大橋は古来より東海道の終着とされ、交通の要衝としての役割をもって久しい。今も変わらず人々は東西を行き交うが、そのかたわらに、ほとんどの彼ら彼女らが気にも留めない歴史の痕跡がある。その痕跡とは、池田屋事件の際に擬宝珠に刻み込まれた刀傷である。すぐ近くにある池田屋に立てこもっていた長州藩、土佐藩を中心とする尊王攘夷派の志士を、その抑圧に役にあたっていた治安維持組織、新撰組が襲撃した。刀傷はこのときにできたと伝わっている。これを契機に後の蛤御門の変、ひいては日本の歴史を方向づける戊辰戦争が引き起こされる。

ところで、京都は国内外を問わない旅行者が多く訪れる街である。彼らは伏見稲荷大社、清水寺、金閣寺をはじめとする代表的な観光地へと足を運ぶ。これらの観光地はいわば歴史のオモテ面として恣意的に表象された空間である。伏見稲荷大社は日本の神社に典型的なイメージである朱塗りの鳥居をこれでもかという具合に並べている、その風景は、京都らしさの現象として旅行者のまなざしが向けられる。清水寺や金閣寺も同様である。一方で、オモテ面ではなく歴史のウラ面にまなざしが向けられる旅行者の行動は、「ダークツーリズム」と呼ばれて注目を集めている。七条から三条までの風景から想起される歴史の輻輳は、まさに表立って象られるのではない歴史のウラ面であり、それはダークツーリズムの対象として旅行者を手繰り寄せる歴史に他ならない。しかし、ここで一つの疑問が生じる。すなわち、ダークツーリズムとは何か、暗い歴史に心惹かれる彼ら彼女らが訪れるあの空間はダークツーリズムに妥当するのか、光と闇を分かつものは一体何なのか、という疑問である。この稿は、歴史が重層的に堆積する京都から、言語論における転回を参照しつつ、この疑問に答えようと試みるものである。

1.境界線の曖昧さ

先ほど想起した鴨川沿いの物語をもう一度思い起こされたい。被差別部落であった七条の崇仁地区は、今では大半が取り壊された。近く京都市立芸術大学の校地として一新され、長い歴史をもった街の記憶は、まっさらな“カンバス”へと変えられてしまうようである。だが、向けられるまなざしは少なくなかった。特異な雰囲気に包まれた崇仁地区を散策する動画は、今日(2022/01/31)の時点で381万回再生におよぶ。今では取り壊されてしまったがゆえに、そこを訪れる人が今でもいるのかについては計り知れないが、京都らしさの表象から外れたウラ面のダークネスに、相当の注目が集まっている実相は疑う余地がない。

一方で池田屋跡の場合、事態はそうクリアーではない。現在は同じ名前の居酒屋となって、石碑と観光案内がゆかりを伝える池田屋跡を訪れるのは、①たいした感慨をもつわけではなく、ただ聞き馴染みのある遺構に足を止める者、②新撰組に格別の思いをもって、当時の活躍に心躍らせる者が考えられる。③尊王攘夷派の志士に格別の思いをもって、騒動のあったこの地を悲しみの場所として捉える者が、あえて池田屋跡を訪れはしない。この変則性は、実際に騒動を通じて死人が出たにも関わらず、悲しみの場所としての意味が付与されて然るべきか、判断を困難にしている。この点で、ダークツーリズムの場所として認められ得る崇仁地区と、認知し難い池田屋跡はコントラストをなす。

とはいえ、人間の死が原因して直ちに悲しみの場所として認知されない事例は無数にある。古市(2013)は、悲しみの場所として原爆ドームが少なくとも日本人には知られている他方では、関ヶ原の古戦場にある反戦の誓いが書かれた立て札は、その場にあるのはふさわしいとは言えず、ある種の滑稽さすら感じられると述べた。同様に池田屋跡においても、残酷さの有無と経過時間の長短の次第によって、悲しみの場所として認知されない場合は当然考えられる。しかし、今の段階ではある記憶の場所を、ほの暗い歴史をもつ空間であるとして闇の空間として捉えるか、それとも光に満ちて「らしさ」の演出に相応しい空間であるのか、明確に決定づけるライン引きがいかにしてなされるのかは明らかになっていない。次節では、空間論的転回の潮流からこの問題を再検討していく。

2.言語学とダークツーリズム

境界はどこに引かれるべきであろうか。この問題に答えるために定義づけは有効であろうか。社会科学では、自然科学がそうであるように、言葉の定義づけは重要な意味を占めているように思われてきた。定義を論理的に構成する試みはそれ単体で成果物として扱われる。それは観光学においても妥当し、「ダークツーリズム」の定義についてはいくつかの議論があるのでみていく。

最初期の頃にはFoleyとLennon(1996)による定義があり、それによれば「実在する商品化された死や災害の場に関する(来訪者による)表象と消費を包含する現象(――神田(2021)による訳、以下同様)」であるという。あるいは、Stone(2006)によれば、「死、苦しみ、そして死を連想させる恐ろしそうなものと関係した場への旅という行為」であるという。日本の代表的な論者によるものには、遠藤(2016)と井出(2018)によるものがあり、前者は「死や苦しみと結びついた場所を旅する行為」、後者は「戦争や災害をはじめとする人類の悲しみの記憶を巡る旅」と答えた。

以上を俯瞰して見出されるのは、ダークツーリズムが「研究者間でも、まだ一致した定義があるとは言えない状況」であるにしても、たとえ一致した定義が発見されたとして、我々が主題に挙げた問題――ある場所をダークネスな空間であると決定づける要因は何か――は解決できそうにない。議論の簡明化のために、井出による定義にだけ着目して考えると、関ヶ原の古戦場を想定した場合そこがダークツーリズムに含まれるかどうかは容易に判断できない。歴史に明るくない者にとっては、そこは単なる合戦跡地としてしか、古戦場跡は現象しないが、往時の戦国武将に特別の所感をもつ者、なかでも、徳川家康に対して好意的な所感を得る者にとっては歓喜の場所であり、石田三成に対して好意的な所感をもつ人にとっては、彼が生涯を閉じた最期の地として、哀愁を感じずにはいない。というような「複雑性」を、定義づけは乗り越えられないのであって、ゆえに、定義に基づいて現象に線を引き、読み解こうとする試みは有効とは言えない[1]

では、このような現象の複雑性・重層性は何に由来するのか。ここでは、1980年代後半から社会科学全体の傾向として現れた(神田2013)文化/空間論的転回と、それに先立つ言語観の転回に着目して、この答えを探っていきたい。

文化/空間論的転回とは、文化の捉え方に限って言うならば、それを文化人類学者のクローバーが言うところの文化超有機体説[2]のように捉えるのではなく、「社会的に意味が組み立てられ、伝達され、理解されていく体系なのであり、そこには政治的な力関係が反映され」るようなものであると神田は説明する。ところで、知的潮流の源を追い求めて旅をするのは、たいへん骨折れであろうことは容易に想像がつくが、しかし、限りなく上流にあるというべき思想家として、ソシュールを挙げずにはおけない。

『一般言語学講義』は1916年に二人の編者によって出版されたものであり、いま我々が問題としている文化/空間論的転回とは隔世の感を否めない。この隔たりはなにゆえであろうか。日本にソシュールが持ち込まれたのは、1928年とかなり早い段階であったが、それは一部の言語学者に読まれるにとどまった。英訳は第二次世界大戦から14年も経過した1959年にようやく出版され、これを契機として言語学以外の研究者、なかでも注目に値するのは、レヴィ=ストロースなどの論者たちによって後継され、デュルケームやガーべレンツからの影響を受けつつ化体した彼の言語学が大衆的に親しまれるようになった点である(田中1998)。たとえば文化地理学における場所の記号論的解釈は、記号論や構造主義の言語論的転回や解釈学的転回のうえにこそ可能になるものであり、これと地続きの文化/空間論的転回にダークツーリズムの問題を位置付けるとするならば、ソシュールの思想に依拠して考察されるのも、あながち突飛ではない。

3.京都および言語

この節では、ソシュール的な言語観を参照しながら、我々の問題とするところのダークツーリズムの考察へとふたたび戻りたい。ソシュールの言語観を特徴づけるのは、何よりもまず定義に対する消極性である。かつては一般的であった、世界のありとあらゆる物質を集めてこれに定義を与えるならば、世界を余すことなく記述できる(言語→世界)というような捉え方に対して、彼は世界にいくつもの名を与え、いくつもの細分化されたものこそが言語である(世界→言語)と主張した。つまりは、前者のような名称目録的な言語観を否定した。さらには、細分化のプロセスは他の事物との差異性によって押し勧められる。その際関心となるのは、未知の事物に対する「〇〇ではない」という消極的な評価の連続であり、そのような方法によって生み出される言語は、その意味内容が強く社会に依存する。乱暴さを厭わずに結論づけるとするならば、言語とは特定の社会から眺めた場合に浮かび上がる差異性によって、消極的に構成されるものに他ならない。この論理からすれば、ダークツーリズムが一体なにであるかを定義しようとする試みは、豆腐にかすがいを打つに等しい。なぜならば、言語がそうであるように、名付けられた場所もまた、徹底した否定態によって我々に見出されるからである。

加えて、言語という記号は、シニフィアンとシニフィエが恣意的に結びついている点も加味すれば、ダークツーリズムの対象となる場もまた、恣意的な空間である。つまりは、崇仁地区、五条、三条河原、三条大橋という場所はシニフィアンとして、各々で社会的に抱かれるイメージ、価値観、概念のシニフィエが恣意的に結びついて、ダークな空間が現象する。同様の場所の解釈をめぐる文化地理学の研究は既に、特に宗教的な聖地を主題に行われている(森2021ほか)。恣意的に結びつく条件として、差異性に基づく消極的な名付けがある。

おわりに

以上の議論を踏まえて、初めに提起した疑問、「ダークツーリズムとは何か、暗い歴史に心惹かれる彼ら彼女らが訪れるあの空間はダークツーリズムに妥当するのか、光と闇を分かつものは一体何なのか」に答えなければならない。

ダークツーリズムとは何か――それは、ダークツーリズムではないものから規定される残余的な現象である。崇仁地区、五条、三条河原、三条大橋はダークツーリズムの空間となるのか――これは、私が答える問いではない。簡単に結論づけるならば、社会的にそのような場として見出される限りはそうである。ただし、社会の性質は、かつて大いなる物語に組み込まれていたモダニティの時代とは異なって、重層的であり、複雑であり、断片的であるような、ポストモダニティへと移り変わった。人々は種々雑多な混じり合う思想とともに生き、尊王攘夷を志す維新派であるとか、幕府恭順派であるといった区別はもはや意味をなさない。我々は何者でもあり、何者でもない。そのようなポストモダニティな我々にとって、場所の現象もまた複雑性のなかにある。

光と闇を分かつものは一体何なのか――それは、社会的に決定される極めて曖昧な、常に浮動する境界線であるのだが、いま述べた通り、融解した境界線はもはや取り繕うとしても無駄である。したがって、しばしば場所空間に多大なる関心を向ける社会科学、とりわけ観光学は、モダニティが終焉する社会にあって、その根本的な方法論の態度から見直したうえで学究を営まなければならないのではないだろうか。本稿には至らない点も多々散見されるが、この指針をより鮮明にすると同時に、京都の場所性を問い続けたい。

参考文献

  1. 井出明,ダークツーリズム;悲しみの記憶を巡る旅,幻冬社新書,2018.
  2. 神田孝治,12章ダークツーリズム,神田孝治・森本泉・山本理佳編,現代観光地理学への誘い,2021,pp.124-131.
  3. ――文化/空間論的転回と観光学,観光学評論,Vol.1-2,2013,pp.145-157.
  4. 園田和洋,三条河原の公開処刑,産経新聞,

https://www.sankei.com/west/amp/140126/wst1401260080-a.html(最終閲覧:2022/01/31)

  • 田中克彦,言語学の日本的需要――ガーべレンツ、ソシュール、上田万年――,田中克彦・山脇直司・糟谷啓介編,言語・国家、そして権力,1998,pp.3-20.
  • デーヴィッド・ハーヴェイ,吉原直樹訳,ポストモダニティの条件(社会学の思想3),青木書店,2001.
  • 永田信,林政学講義,東京大学出版会,2015.
  • 古市憲寿,誰も戦争を教えてくれなかった,講談社,2013.
  • フェルディナン・ド・ソシュール,町田健訳,新訳ソシュール一般言語学講義,研究社,2016.
  • 森正人,3章聖地,神田孝治・森本泉・山本理佳編,現代観光地理学への誘い,2021,pp.30-37.
  • World2529,京都Deep Spot 崇仁地区(かつて日本最大のタブーだった地域),

https://youtu.be/kTd8GzpYQWs(最終閲覧:2022/01/31)


[1] すべての場合において定義論が廃却されるべきであるとは考えがたい。例えば、国際連合食糧農業機関(FAO)は、森林の定義を「樹冠投影面積が10%以上であり、0.5ヘクタール以上の広さがあり、成木となると5m以上となる樹種の樹林であり、農地等森林以外の目的に使用されていない土地」と定めた(永田2015)。この定義は、生活者にとっての実際とはいささか乖離がある。日本に暮らす私たちにとっては、公園程度の樹木密度でしかないが、反対にステップ気候の草原を遊牧する人々にとっては、いや、彼ら彼女らにとっては「森林」の概念すらもないかもしれない。よって、世界的に共通の定義を用いて森林を定めるのは実際に則さないが、しかしそれは無意味とは限らない。加速度的に進行する世界規模での砂漠化を把握し、これを食い止める方策を立てるには、共通した尺度が必要であった。

[2] 文化を有機物や無機物を超え出た存在であるとみなす説である。

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