公共交通の大分岐――持続可能な交通の構築に向けて

研究成果

報告者:寺田陽人

はじめに:なぜいま公共交通について論じるのか

2008年、日本は未だかつて経験されなかった大分岐――人口減少に直面する。列島の歴史が始まって以来、戦争や疫病、自然災害による一時的な人口喪失はあっても、差し迫った危機があるわけではない、とりたてていうほどの暴力的な政策(たとえば一人っ子政策)にさらされたわけでもないが、自然的に人口増加が停滞し、ついには減少に転じたのは未曾有であった。

前資本主義社会の均衡が打ち破られてから、資本主義に特殊の生産関係は、さらなる人口増加を差し出がましいほどに要請し、恐慌、労働疎外、公害などの代償を支払いつつも、20世紀のうちは、資本とそれを可能にする人口は肥大を続けてきた。だが、高度経済成長の終わりの頃には既に予感された停滞は、克服不可能な現実として結実する。

あらゆる生活の局面はこの転換からの影響を免れない。例を挙げれば枚挙にいとまがないが、第一には経済成長を前提に設計されたシステムはことごとく崩壊する。日本型終身雇用や国民年金はその最たる例である。そして、公共交通の破局もまた、ほかならぬ人口減少が原因する。

交通の体系は、公共の交通手段と私的に所有される交通手段に大別される。ここでは主として公共交通、とりわけ鉄道について論じたい。では、なぜいま公共交通について論じるのか。

現代日本は、2008年を境界として、すなわち人口減少をきっかけとして、これまでの右肩上がりに経済成長を達成してきた社会から、成長後の社会へと移行した。さらには、従前から続く少子高齢化はいよいよ深刻さを増して、数々の社会問題が生じつつある。そのうちの一つに、交通の問題は位置している。

人口減少は、公共交通の運営の難しさとして立ちはだかる。これについては後に述べるが、地方鉄道経営の絶対的な不可能性に帰結する。少子高齢化は、「交通貧困階層」(湯川,1968)「交通弱者」(堀畑,2011)の増加である。「交通貧困階層」あるいは「交通弱者」と呼ばれる人たちは、経済的な理由から私的に所有される交通手段に恵まれない人のみならず、身体的条件の理由から自動車を運転できない人、地方に居住するがゆえに公共交通から疎外された人、高齢になるにしたがって自動車を運転するに耐うる身体的能力を持たない人をさしていわれる。高齢化社会の到来とは、自動車に乗れない年代の「交通弱者」が、より割合の増した社会の到来を意味する。増加する「交通弱者」の対処は、いまでは解決されなければならない喫緊の課題であり、高齢化率が高まり続ける将来、その重要度はますます上昇するであろう。「令和47(2065)年には38.4%に達して、国民の約2.6人に1人が65歳以上の者となる社会が到来すると推計されている」。

鉄道事業のどうにもならない閉塞感

地方鉄道の経営状況は概して厳しい。その運営形態が問題なのだろうか。かつて国鉄がJR7社への分割民営化によって劇的に経営改善したように、完全な民営化による合理的な経営によって、赤字は改善されるという憶測は現実には妥当しない。第三セクターの経営状況は、もはや経営形態の変更によっては対処できないほど深刻になっている(中山,2003)。

民営化以前から赤字が想定されていた「JR島3社」のうち、JR九州は完全民営化を達成したものの、依然としてJR四国、JR北海道は、経営安定基金の運用益による補填では間に合わないほどの赤字が続いており、とりわけJR北海道(2016)は、全長2568.7kmあるうちの1237.2kmを、つまりは半分以上に当たる路線長を、自社単独では維持不可能であるとの声明を出すほどに深刻である。この原因を、同社の経営努力の不足に帰するべきであろうか。北海道知事、政府、国土交通省の反応は冷淡である。「政府による国鉄分割・民営化の失敗」でありながら、いずれも「民間経営の問題」であるとして、介入を拒んでいる。しかしJR北海道は、「長大路線と積雪寒冷という本州にはない悪条件を抱えての運営」となっており、「赤字がかさむのは当然」である。ゆえに、自助努力の範疇で黒字化を達成するのははなから不可能であった。小田は、同じ交通施設であっても、「道路や港湾、空港は公共事業として公的資金で建設」、維持がなされ、「その施設を自家用車やバス、トラック、船舶、航空機などが利用して」いるが、建設費は負担していない。一方で鉄道は、「施設と運行車両の両方が一体として」、つまり全てのコストがJR北海道の負担のもとに運営されているという不平等が指摘されている(小田2018)。

苦境に立たされる鉄道経営者はいかなる方針を示しているだろうか。これからの鉄道が生き延びていくための経営とは何か、という自問に対して、JR九州の初代社長である石井は、「鉄道以外の分野による多角化経営」と応える(石井2018)。石井によれば、鉄道事業が単体で黒字になるか、赤字になるかは、どれほど企業努力を積み重ねようとも、究極的には沿線の「人口密度」にかかっているという。つまり、鉄道の独立な継続運営は、人口過疎地域では不可能であると言い放った。本来的に収益性が低い鉄道は、「これからの経営は重層的,多面的な方法に頼らざるを得ない」(近藤1995)と同様の意見が出ている。

他部門で生み出された利潤をもとに、枝葉末節のローカル線の赤字を補填する方法は、見方を変えれば、そのローカル線は利潤の最大化のためには不要であり、残すか残さないかは、企業の所有者と経営者の倫理観に依存するリスクを備えもつ。西武鉄道の代表的株主である外資、サーベラスが地方路線の廃線を迫った事例(市川2015)は、まさにこの脆弱性を露見させた。それだけではなく、国鉄の分割民営化によって完成された営利企業としてのJRは、多少の不道徳を犯してさえもみずからの利益に抜け目がない。追加的な運賃収入が得られる新幹線の建設には多額の投資を行う一方で、自動車の優位性が際立ち、短距離輸送の比重が高く、通常運賃しか得られない並行在来線は積極的に切り捨てられる。この傾向は、JR北海道、西日本、九州に顕著であり、それぞれ沿線自治体との摩擦を生んでいる。

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地方鉄道を活性化する手立てを観光に求める動向は、全国的に見られている。とはいうものの、その手法がどれほどの効力をもち、実際に経営改善に寄与したかは、既往の研究を見る限り懐疑的にならざるを得ない。

観光者から収益を得る典型的な手法に、観光列車の運行がある。張(2020)によれば、観光列車は2000年から2008年にかけて毎年1本から4本の運行が始まるにとどまっていたが、2009年からその数は増え続け、2016年には16本の運行が開始した。観光列車がいわばブームとも呼び得るほど全国的に運行されたのと同時に、高付加価値な列車を対象とする研究がいくつか見られるようになる。なかでも、観光列車の運行が地域経済にどれほどの恩恵をもたらしたのか、「経済効果」を推計する研究が中村・小長谷(2014)、藤田(2019)によってなされており、前者によれば、「指宿のたまて箱」は60億1000万円と算出されている。しかし、純粋にこの貨幣額が「指宿のたまて箱」によって生み出されたとは考えられない。端的に言えば、

・新幹線効果の看過:同列車の運行は、九州新幹線の全通の翌日に始まっており、指宿駅の乗降客数増加は、鹿児島を訪れる旅行者数の母数の増加によるところが大きい。新幹線開通の効果を同列車の効果とみなすわけにはいかない。

・旅行者の消費上限の看過:旅行者には、家を出て再び戻るまでのあいだに支出する金額に上限がある。同列車に余分に支出した旅行費の分だけ、その反動として、宿泊費、飲食費、物品購入費が減じられる場合は当然に考えうる。

の二点を加味したうえで、再び算出されなければならない。「伊予灘ものがたり」が生みだした「経済効果」の推計を試みた研究についても同様に指摘される。したがって、「伊予灘ものがたり」で8400万円の「経済効果」を生んだ(藤田2019)のであるから、その他の地方鉄道、たとえばいすみ鉄道でも観光列車を導入しさえすれば、年々に生じている経常赤字およそ1億5000万を容易に覆すほどの価値を地域で生んでいる、とはならない。しかし、これらが勘案された試算は困難であり、実際に推計された事例もない。「観光列車を導入さえすれば直接的に沿線地域の活性化に繋がるとは単純にいえない(張2020)」と、現時点では小括されるであろう。

観光に鉄道産業の閉塞を打ち破る希望をみる鉄道会社は多い。観光を重視すべき方向として、最も明確に据えた鉄道事業者は房総半島中部に鉄路を敷くいすみ鉄道であるといっても過言ではない。2009年から2018年まで公募社長を務めた鳥塚氏は観光に希望を見出し、ニッチな客層――主として鉄道ファンをターゲットとする戦略をとった。国鉄型のディーゼルカーを走らせ、それを目当てに鉄道ファンたちは写真を撮りにやってきた。ムーミン列車は鉄道ファンだけではなく、元来鉄道趣味とは相容れないと思われていた女性を誘客した。しかし、この経営改革がもたらした営業外収益は、運輸営業から発生する赤字の1.2%であった。つまり、旅行者が購入するお土産費用に比して、運輸業から発生する赤字が途方もなく大きい。

いすみ鉄道の事例が示しているのは、鉄道の線路沿いから観光を用いて活性化を目指す人々が全国的に見られるのと同時に、一筋縄では観光を手段とした地域の活性化がなされないという現状である。人口減少の時代に移ろい、廃線の打診がいよいよ一時代を画するようになるいま、それに呼応して住民の関心が向けられている。観光は地方鉄道を救いうるだろうか。そして、その先にある持続可能な交通体系は築かれるだろうか。いまの時点では、機能は限定的である。

社会運動と鉄道

これまでの節では、事業者の側から見える鉄道について着目したが、ここでは住民の側から向けられる鉄道への関心と、それが引き起こした社会運動についての既往研究を2例紹介する。

斉藤による研究

地方鉄道の存廃をめぐって住民たちが立ち上がっている様が、学術的に注目を集めるのは2000年代以降、具体的には2006年頃に始まる。最初期の研究として斉藤(2006)によるものがある。斉藤は、2005年3月末に廃線となった日立電鉄線に着目し、「生活(圏)の危機」に対していち早く反応したのが地元の高校生であったという。

地域の移動手段の喪失は直ちに「生活(圏)の危機」であった。だが、モータリゼーションが進行した社会では、もはや鉄道は、日々の生活を営むうえで必ずしも必要ではない。このような背景から大人たちは鈍重であったが、一方で高校生たちは見過ごさなかった。彼らは、もちろんみずからの修学に要する移動手段の喪失という側面から、日立電鉄線の廃線を受け止めていたのであるが、それ以上に重く危機感を募らせていたのは、将来入学してくるであろう後輩たちが、修学を妨げられることであった。彼らは迅速に「高校生徒会連絡会」を組織し、その後に続いて、主として主婦をはじめとする地域住民らもコミュニティ推進会、「日立電鉄線を存続させる市民フォーラム」を組織した。

だが運動の成果は芳しくない。2004年1月に「日立電鉄線廃止問題対策実務者会議」において廃線が確定した。これを機に、住民たちの運動も変容を迫られる。「日立電鉄線を存続させる市民フォーラム」は名称を変更し、「公共交通を考える市民フォーラム」となる。廃線を甘受したうえで、代替バスを含む地域交通の望ましいあり方について検討するように変化した。高校生たちは、焦点を日立電鉄線から水郡線へと変えて、運動を継続する。水郡線は日立電鉄線と同様に、同地域から水戸方面へと至る公共交通であった。「電鉄線がなくなって、水戸に行ける電車もなくなったら常陸太田は終わり」との思いが強かったという。

斉藤は存続運動が次の経過を辿ったとまとめる。すなわち、原初的な〈存続の論理〉としてあるのは、自分たちというよりも将来世代の不自由さであり、それを踏まえて高校生と沿線住民は、「事業者・自治体の手続き的正統性への異議申し立て」を行なった。だが、運動は異議申し立ての段階から代案提示へと高度化を迫られる。理論武装した住民は、「市民出資型鉄道会社」という代案を用意し、運動の正当性を主張する。しかし、廃線が確定してからは、運動は各自のもつ問題関心に則して方向性を変えていく。

堀畑による研究

堀畑(2011)は、「国家的公共性」と「地域的公共性」の区分を用いて、公共交通の維持に責任を持つ主体が移り変わる様を分析した。前者には国防や、戦前の軍事的な役割の比重が大きかった国鉄が含まれている。1945年を境として、GHQの指導により国営事業としての国鉄から、公共企業体としての国鉄へと姿を変えることとなる。堀畑は、1986年の分割民営化をもって、国は「鉄道における直接的な国家的公共性を放棄した」と形容するが、それを可能にする土壌は、終戦のときには完成していたとみるのが自然であろう。とはいえ、国家が公共交通において持つ役割と責任の放棄が、1986年に完遂されたとみるのは自然であろう。

しかし、人々が生活必需品を購い、学校や病院へと足を運ぶ移動の必要性は、国家が公共を放棄したからといって消えるものではない。国家が手放した役割を担わなければならなかったのは、都道府県自治体と市町村自治体であった。この後の経過について、堀畑は次のように述べている。

都道府県自治体と市町村自治体は、このようにして公共交通を制御する主体の役割を強化させられたが、どちらかと言えば、この強化のされ方は国が放棄したものを拾わされたというような消極的なものであった。しかし、2007年に市町村自治体の公共交通制御の役割は積極的に強化されることになる。2007年10月に施行された、地方公共交通の活性化及び再生に関する法律では、市町村は協議会を立ち上げ、協議会には市町村、公共交通事業者、地元企業、住民、NPO等住民団体、学校・病院、商店街の人々等が参加して、地域公共交通総合連携計画を策定することができるようになり、2000万円を上限に、地域公共交通総合連携計画の策定費を定額補助することが決まったのである。

〔堀畑2011;17〕

公共の担い手は国家から地方へと移り変わり、さらに2007年の法律整備を機に、市町村自治体のもつ権限はより確かなものとなった。将来の地方公共交通のあり方については、市町村ごとに組織される協議会で決定される仕組みが出来上がる。社会運動の観点から見れば、この変化はどのように捉えられるだろうか。先ほども述べた通り、「企業や官庁」などの組織内で「意見を言」うのも行動の一つであるから、「地元企業、住民、NPO等住民団体、学校・病院、商店街の人々」に公共交通の行く末が委ねられたのは、社会運動のもつ意義が法的手続きを通じて強められたものと解される。

この点を踏まえて、ひたちなか海浜鉄道の事例を見ていきたい。日立電鉄が高校生たちの迅速な決起にもかかわらず2005年4月廃線が決定され、引き続いて鹿島鉄道もまた2007年4月に廃線となる。ひたちなか海浜鉄道の前身となる茨城交通から廃線の打診があったのは2005年であった。茨城県内にある地方路線という点で、日立電鉄、鹿島鉄道、茨城交通湊線は共通していたが、廃線された2線に比して湊線が異なっていたのは、存続を可能とする条件である。

茨城県知事やひたちなか市長は、廃線の打診に対して強く存続の意思を表明した。その結果、一年半の協議を通じて第三セクター鉄道ひたちなか海浜鉄道として新たに歩み始める。だがこれだけでは、ひたちなか市が負いきれない赤字が出れば、3セク化以前と事情は変わらない。そこで様々な取り組みがなされることとなる。社長は公募され、富山県の万葉線を再生した実績をもつ吉田千秋氏が就任した。和歌山電鐵貴志川線で有名となったたま駅長に倣って、2009年7月から黒ネコおさむが誘客を試みる。そして、地元住民からなる「おらが鐵道応援団」を組織して、「地元自治会で利用促進をするほか、那珂湊駅で観光客を案内するなどボランティアとしても関わっ」た。地域全体が鉄道存廃を共通の問題関心として、多種多様な主体がそれぞれの方法を実践した点に、ひたちなか海浜鉄道が存続し得た所以が垣間見える。

しかし、鉄道の存廃が常に地域住民の関心となるとは限らない。兵庫県の三木鉄道では、反対運動が一切起こらないまま、廃線へと至った。三木鉄道の廃止とバス転換によって支出を抑える公約を掲げた候補者が、2006年の市長選に当選する。ここで廃線が世間一般に知られることになるが、外部からの批判はあっても、内部の住民から反対の声は上がらなかった。堀畑(2011)が実施した行政職員への聞き取り調査によれば、「ある時、住民の方に、なぜ反対運動がおきなかったのでしょうね、と聞いたら、廃止はしてほしくなかったけれど自分たちで乗ってこなかったから(反対運動をするには)後ろめたさがある、と言っていた」と回答した。

三木市は自動車生活者にとっては充実した環境である。周囲には山陽自動車道と中国自動車道が走っており、遠くへいくにしても、また神戸へと買い物に行くにしても、自動車の優位さは否めない。たとえ神戸まで公共交通を利用する場合でも、バスや神戸電鉄粟生線を利用し、加古川方面へと伸びる三木鉄道が選択される余地はなかった。このような背景が、バス転換を公約に掲げる市長が当選し、反対運動が起きないまま廃線へと事が運んだ所以であろう。

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以上、鉄道の存廃が検討された地域の動向について、二人の論者による考察を参照した。そこから分かったのは、2000年代以降に鉄道路線の廃止が検討される際、すべての地域で運動が引き起こされるわけではないが、ひとたび住民たちの問題関心に上がると協議という形態をとって、行政、企業、住民を巻き込みながら意思の疎通が図られるということである。日立電鉄線の事例では、当初は利他的な精神から廃線の反対を表明したが、行政と鉄道事業者との折衝を経て、より具体的で論理的な代案を用意する必要に迫られ、運動の論理の高次化が図られた。協議は最終的に廃線へと舵を切り、運動の主体はそれぞれの道を歩んでいく。ひたちなか海浜鉄道の事例では、地域鉄道の活性化を試みる組織「おらが鐡道応援団」の活動に加えて、様々な要因から実際に公共交通の維持に成功した過程が記述されている。

鉄道の存続が議論される際に、2000年代以降は協議という形態をとるのはここに挙げた事例のみではない。直近では、千葉県を走る第三セクター鉄道いすみ鉄道では「いすみ鉄道再生会議」が、福島県と宮城県をまたがる阿武隈急行では「阿武隈急行沿線活性化フォーラム」が開かれた。これらは行政と鉄道事業者のみに閉じて行われるのではない。地域の関係主体を多く巻き込みながら交通の未来を協議する。

「阿武隈急行沿線活性化フォーラム」では、地域の産官学に金融を加えた4主体を中心として、同路線の将来世代への活性化された姿での継承が協議された。その運動の性質は、かつての労働争議のような闘争的な気分に満ちたものではなく、むしろ協働の性質を多分に含んでいる。「企業や官庁のなかで」の発言や、議決機関に代表を送り出すこともまた社会運動論の文脈上にあるとみなされる(西城戸2006)いま、現代の鉄道に関係する社会運動に見られるこの協働的形態が果たす役割には期待が懸けられる。

おわりに:鉄道事業の閉塞はなぜ起こるのか

日本の社会は、これまでに前例のない局面へと差し掛かっている。すなわち、多少なりとも成長が継続された社会から経済的規模が縮小へと向かい、人口の減少、少子高齢化のネガティブな現象が継起する時代へと向かっている。このような成長後の社会が従来のそれとは決定的に違っているのは、個人あるいは組織による豊かさの獲得が、他者の豊かさの喪失を前提としている点にある。将来の成長が約束された社会――日本でいうところの高度経済成長から、ややかげりが見えつつも成長はなされたバブル期に至る社会――では、競争関係にある両者が、ともに成長する可能性をもち、競争の結果は利益獲得の比率を決定づけた。しかし、成長がとまり、限られた資源を奪いあわなければならなくなったいまでは、他者を斥けない限り、豊かさの獲得は叶わなくなった(山田,2021ほか)

これは個人間もしくは組織間の関係について述べられたものであるが、公共交通機関と私的に所有される交通手段の競争関係についても妥当する。議論を簡明にするために、ここでは鉄道と自動車の関係性として捉えられたい。将来の成長が約束された社会では、鉄道と自動車がともに産業の規模拡大をはかる余地があった。事実、1995年に至るまで、鉄道の利用者数と自動車の保有数はともに伸びていた(市川2015)。つまりは、鉄道事業は将来約束されているように思われた経済規模の拡大を前提としてシステムが構築されている。しかし、平成の時代が「失われた30年」として顧みられ、人口の減少がはじまった2008年以降は、競争の勝者、すなわち自動車だけが保有数を伸ばし、敗者、すなわち鉄道は利用者数を減らしている。つまり、自動車の利用者数が一定あるいは増加するならば、公共交通は減らざるを得ない。システムの破綻である。

私たちは、2008年の大分岐の際に知らず識らずのうちに決断を迫られていたとは、10年以上が経過した今でさえ気付いていない。大分岐、その先にある社会では、人口減少、経済規模の縮小を前提とした生活圏の再構成が必要とされている。これまで通り、私的に所有される交通手段、すなわち自動車の使用を前提とした社会を構築するのか、それともまやかしではない意味での持続可能性を考慮した社会を構築するのかという決断である。残念ながら、現在の日本社会は紛れもなく前者へと舵を切っている。自動車の使用が国家からのお墨付きを与えられる一方で、弱者の生活の条件である公共交通は容赦無く打ち捨てられる。このような社会が、「豊かな社会」といえるだろうか。決断を誤った代償は大きいとはいえ、分岐後の社会を再構築するのは、いまからでも遅くはないだろう。

後記:このレヴュー記事に対して永田右京氏からフィードバックを頂いた。それへの返答として以下の記事を作成した。併せて参照されたい。

永田右京氏のフィードバックに応えて

参考文献

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