【経済思想概説】「重商主義」そして「重金主義」「貿易差額主義」とは何か【3】

経済思想史概説

この記事で分かること

・「重商主義」とは何か

・「重商主義」の進展と「重金主義」「貿易差額主義」とは何か

・「重商主義」の成果と批判

シリーズ経済思想概説では、経済思想に関する大学レベルの知識を体系的に解説していきます。最新記事の更新情報は、拙Twitterアカウント(@SubCulKusoOtoko)をご覧ください。

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はじめに

資本主義が支配的な社会体制となりつつある16世紀から18世紀にかけて、いったい生活の豊かさは何なのか、この問題が多くの経済学者たちの関心を集めていました。

富とは何か、この答えとして、重商主義は「貿易の差額によって得られる貴金属」であると答えました。しかし、この答えには誤りがあると指摘され、次いで重農主義は「すべての生産物の源である農産物こそが富である」と答えました。しかし、これも厳密には正しくないとして、アダム・スミスに批判されてしまいます。この記事では、「重商主義」についてできるだけ詳しく解説したいと思います。

重商主義とは

重商主義mercantilismとは一般に、国家に溜め込まれる貴金属の量によってその国の豊かさが決定されるとして、その貴金属の獲得のために、輸出超過の国際貿易を目指す考え方を指します。貿易で黒字になった国は貴金属の総量が増加し、反対に貿易で赤字になってしまった国は貴金属の総量が減少してしまいます。

重商主義のポイントは次の4点にまとめられるでしょう。

  1. 経済の繁栄には国家による積極的な干渉が必要
  2. 貴金属の蓄積をもって国富とみなし、その増加を政策目標とする
  3. そのために、貿易差額を増やす
  4. 輸出の奨励と輸入の抑制、つまりは保護主義的な政策をとる

参考:松原隆一郎「第1章市場の成立」『経済思想入門』ちくま学芸文庫、2016年。

さらに詳しく見ていくと、重商主義は初期と後期に明確な違いが発見されます。

初期重商主義=重金主義

初期重商主義は、重金主義bullionismに特徴づけられます。重金主義とは、主にイギリスで主張され、政策によって一国内の貴金属総量をコントロールしようという思想です。たとえば、為替を操作し、意図的に自国の貿易に有利な状況を作り出したり、貴金属が国外に流出してしまうのを制限もしくは禁止したりしました。

なぜこのような重金主義の立場を取る必要があったのでしょうか。それは、当時めざましかった市場の国際化と関係しています。16世紀、新大陸の発見や希望峰を経由する新航路の発見は、従来の「ただ単に余った財を交換する」のではなく、「社会の全体に及ぶ物的な循環を調整する」ものへと市場の姿を変えました。国際化された市場では、一つの地域、一つの国にとどまらずに、国と国を互いに行き来しながら財の交換が盛んに行われます。すると、何かしらの方法を用いて、自分達の国に貴金属を溜め込みたい欲望が生まれます。そのときなされたのが、重金主義的な政策によってそれをコントロールする方法でした。

後期重商主義=貿易差額主義

しかし17世紀になると、貿易の差額によって貴金属を得る後期重商主義へと移り変わります。普通、重商主義と呼ぶとき、この時代を指しています。

ではなぜ初期の重商主義、つまり重金主義は改められなければならなかったのでしょう。それは、貴金属を使わないまま手元に置いておこうとする重金主義の政策では、彼らの望むところに反して、外国貿易の発展を妨げていたからです。

すると今度は、貴金属を使わないまま手元に置いておくのではなく、それを利用して、さらに外国貿易を盛んに行おうと考える人が出てきました。これが、後期重商主義を特徴づける貿易差額主義です。

重商主義者マン、コルベール

後期重商主義の代表的な論者に、東インド会社の役員を務めたトーマス・マンが挙げられます。彼は「東インド貿易に置いて貴金属をイギリスから流出させるべきでないとする重金主義」に反対しました。なぜならば、「インドから香辛料を輸入することでいかにイギリスの貴金属が減るにせよ、その香辛料をヨーロッパにおいて輸出すればその分は取り返せるのだから、東インド貿易をインドに対するイギリスの赤字だけからとらえてはならない」からです。

参考:松原隆一郎「第1章市場の成立」『経済思想入門』ちくま学芸文庫、2016年。

その他に有名な重商主義者には、フランス財務総監のコルベールが挙げられます。彼は、農業国フランスの農産物が二束三文で買い叩かれ、一方でイギリスの工業製品は高価格で国内に入り込んでいる事態を憂いました。

そこで、フランスも工業国へといち早く生まれ変わるために、工業部門をひいきする政策を取ります。そして何よりも極端なのは、「輸出品の競争力を維持するために賃金引き下げを目論み、それを可能にするために賃金労働者が消費する穀物価格を安く抑えようとした」ことです。

コルベールによる、フランスの農業部門を荒廃させたこの極端な重商主義政策は、コルベルティスムとも呼ばれます。ケネーをはじめとするフランスの重農主義者からの批判を受けました。

ここで重商主義の初期と後期を振り返ると次のようになるでしょう。

初期

  • 重金主義
  • 貨幣量を政策によってコントロールしようとする
  • 個々の貿易相手との収支にとらわれる

後期

  • 貿易差額主義
  • 貨幣量のコントロールではなく貿易の推進から貴金属を得る
  • 貿易相手すべてを含めた全体から収支に注目する

重商主義の成果と批判

重農主義と同様、後にアダム・スミスによって批判される文脈で触れられることの多い重商主義ですが、経済思想史においてそれはどのような成果を挙げたのでしょうか。

第一に挙げられるのは、経済現象を合理的にとらえられるようになった点です。近代以前では、さまざまな気象現象を神の意思として解釈していたように、経済現象もまた、気まぐれに解釈されていました。これらの宗教的倫理から多分に規定された解釈ではなく、合理的で客観的な立場から経済現象をとらえたのは、重商主義の成果です。

一方で、重商主義は主として二方面から、すなわち重農主義者たちと、デヴィッド・ヒュームやアダム・スミスらスコットランド啓蒙の立場から批判がなされています。重農主義者たちの言い分は次回の記事で触れるとして、ここではヒュームによる重商主義批判に耳を傾けたいと思います。

デヴィッド・ヒューム、Wikipediaより引用

彼の批判は次の2つが挙げられます。

貴金属をもって富とみなす立場の批判

重農主義者のカンティロンや重商主義者たちは、貨幣量が生産を刺激すると見る立場でした。つまり、新大陸からの貴金属の収奪は経済の活性化に寄与する立場です。

しかしヒュームによれば、貨幣は交換の媒体に過ぎません。なので、貨幣の流通量が増えても生産量が増大することはありません。いくら貴金属を持っていても、私たちが消費する商品の生産量が増加しなければ意味がないのです。反対に生産量の向上や、市場の整備を通じて、国富が蓄積されるのだと主張しました。

「正貨配分の自動調節理論」からの批判

ヒュームは「正貨の自動配分論」と呼ばれる次の貨幣と物価の関係性を指摘しました。

  1. (重商主義の政策が成功して一国内の)貴金属量が増加する
  2. →貴金属の価値が下落し、物価が上昇する(一つの商品を買うのに要する貨幣が多くなる)
  3. →輸出品の価格が上がり、輸出量が減る
  4. →貿易赤字で貴金属が流出してしまう
  5. →物価が下落する
  6. →輸出が容易になる(重商主義を成功させるのが簡単になる)
  7. 1.に戻り、元通りになる

つまり、一国内の貨幣量と物価は、どちらか一方が高騰あるいは暴落しないように、自動で調節されます。このような貨幣と物価の調節機能により、ここでもやはり、貨幣(貴金属)そのものの増加を図ろうとしても、それが無意味であると示されているのです。

次回は、重商主義と呼応して生み出された考え方、重農主義について解説します。

【経済思想概説】「重農主義」、そして「生産的階級」「不生産的階級」とは何か【4】

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