永田右京氏のフィードバックに応えて

研究成果

永田右京氏

Twitterアカウント:@ukyokyongt

“次の時代に必要な「公共交通」の統治システムを研究しています。学士(総合政策学)になりました。 所属 : 慶應SFC、ひらく研究所、MaaS Creative、EMoBi etc…”(Twitterプロフィールより引用)

指摘1

ここでは、拙稿「公共交通の大分岐――持続可能な交通の構築に向けて」へ寄せられた永田右京氏のご意見に対して返答したい。

文責:寺田陽人

小田は、同じ交通施設であっても、「道路や港湾、空港は公共事業として公的資金で建設」、維持がなされ、「その施設を自家用車やバス、トラック、船舶、航空機などが利用して」いるが、建設費は負担していない。一方で鉄道は、「施設と運行車両の両方が一体として」、つまり全てのコストがJR北海道の負担のもとに運営されているという不平等が指摘されている(小田2018)。

拙稿 2節 鉄道事業のどうにもならない閉塞感 第2段落より

これについて、

永田氏「ガソリン税などの支払いを通じて道路の維持に還元されているから、小田の言う不平等は妥当しないのではないか」

寺田のコメント

小田が見出した不平等性は、ある歴史理解のうえに成り立っていると言ってよい。ある歴史理解とは、現在の経済的な環境は自然にそうなったのではなく、政策によって形成されてきたものと捉える考え方である。この方法は政策学の通説(その歴史把握の方法が顕著に現れている代表的論考に平山洋介『マイホームの彼方に』が挙げられる)となっており、しばしば近代経済学が環境を合理的経済人によって自然に生み出されたものとみなす考え方と対比される[1]

拙稿の文脈と照らし合わせて考えれば、私的に所有される自動車の圧倒的優位に特徴づけられる、現在の交通諸手段間のパワーバランスは、自然にそうなったのではなく、政策によって決定づけられている。日本全土が道路によって張り巡らされ、生活の基礎に自動車を位置付けたのは、ほかでもない与党の政治権力である。このような政策が取られる以上、道路は国家存続の条件となり、なくなることはない。

したがって、幹線道路の場合は「必要に対して投資」がなされる。一方で鉄道事業の場合は、事業者の収入を元手とする「投資が必要をカバー」する。安全を維持するための必要を投資が満たさない場合は、特別の場合を除いて廃業せざるを得ない。成績の不振が廃業に直結する鉄道事業と異なって、受益者負担の原則からガソリン税が道路の建設と維持の費用に充てられるにせよガソリン税が道路存続の条件となっているわけではない。ここに不平等性が見出される。

指摘2

それだけではなく、国鉄の分割民営化によって完成された営利企業としてのJRは、多少の不道徳を犯してさえもみずからの利益に抜け目がない。追加的な運賃収入が得られる新幹線の建設には多額の投資を行う一方で、自動車の優位性が際立ち、短距離輸送の比重が高く、通常運賃しか得られない並行在来線は積極的に切り捨てられる。この傾向は、JR北海道、西日本、九州に顕著であり、それぞれ沿線自治体との摩擦を生んでいる。

拙稿 2節 鉄道事業のどうにもならない閉塞感第4段落より

これについて、

永田氏「現在建設が進む整備新幹線は政策的に決定されていたもので、JRは費用負担をしていないのだから、JRを敵視するのは誤りではないか」

寺田のコメント

重層的な問題で何が悪かを判断するのは容易ではない。新幹線建設にひた走るJRが悪いのか、それとも国鉄をすっかり私企業の顔に変貌させた中曽根康弘が悪いのか、それとも、独立採算の原則を国有鉄道に取り入れ、公共事業体にしたGHQが悪いのか、どれか一つを選び取って明言するのは難しい。

整備新幹線かどうかの区別を越えて、ここで私が問題としているのは、誰が費用を投じるのかではなく、何に資源が投じられるかである。JR九州初代社長の発言(Cf.石井幸孝『人口減少と鉄道』朝日新書)に見られる新幹線の優遇と地方路線の冷遇傾向である。彼が示したような傾向は、未だ十分とは言えない移動権の保障をさしおき、移動にそれだけの費用をかけられる階層にのみ“豊かさ”をもたらすものである。個人的見解を示しておくとするならば、私はこの傾向をこころよく思っていない。

指摘3

公共の担い手は国家から地方へと移り変わり、さらに2007年の法律整備を機に、市町村自治体のもつ権限はより確かなものとなった。

拙稿 3.2節 堀畑による研究 第3段落より

これについて、

永田氏「2007年の法改正によって市町村自治体のもつ権限が積極的に強められ、確かなものとなったかは疑問である」

寺田のコメント

これまで鉄道に関連する社会運動が提起する問題は、誰が対応するべきなのかが曖昧にされ、国家、自治体の、いずれもが立ち入るにも立ち入れず、放置されていた。だが、この法改正によって地方自治体がそれに応じることの言及がなされたのであり、その意味で自治体の権限は明確化された。私が堀畑の論考を引用し、そのように述べたのはこのような文脈がある。

それが積極的な意味を持つか否かは、まったく解釈者の文脈に依存している。


[1] さらにいえば、社会経済学の見地からは、政策すなわち法などの上部構造は、下部構造に規定されていると批判されるであろう。

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