『資本論』の本源的蓄積とは何か、ハーヴェイ・斎藤幸平による新しい解釈【概説マルクス用語】

社会学用語概説

この記事では、マルクスの『資本論』中に登場する本源的蓄積とは何かを、今日の最新の解釈まで含めて解説します。

本源的蓄積とは

「本源的蓄積」とは、カール・マルクスが著した『資本論』第1巻の本源的蓄積論で登場する概念です。資本主義社会では、資本が「回転」することによって、雪だるまのように少しずつ、5000万円から5100万円に、5100万円から5200万円へと蓄積されていきます。「回転」は、お店に置いてある1回目に仕入れた商品がすべて売り切れた際に「1回転」します。お店や企業の商品が1回転、2回転するうちに資本は少しずつ蓄積されていきます。

では、初めに仕入れる際の資本は、なぜそこにあるのでしょうか?よくある答えは、経営者の祖父がお金持ちだったから。ではその祖父はなぜお金持ちだったのでしょう?祖父の祖父がお金持ちだったから、、、

これではきりがありません。本源的蓄積論は、この問題、初めに(=本源的に)資本が蓄積されていたのはなぜか?に答えるものです。

ではマルクスは何と答えたのでしょう。それは、祖父の祖父の祖父の・・・祖父が、農民から土地を奪い取ったからです。過激にも、今日の巨大な資本が蓄積されているのは、祖先が暴力的に土地を収奪したからだとマルクスは答えます。もちろん、現実はもっと多様です。しかし、資本主義社会がスタートする際は実際にこの暴力的収奪が行われていました。

それは世界史の教科書に「囲い込み」と記載されています。

200年前のイギリスでは、独立自営農民という、自分の土地を持った農民たちが自分の生産手段を使って農業を営んでいました。しかしある時突然、資本家と国の偉い人がやってきて、

「今日からここは私たちが管理する」

と言いました。農民たちは追い出されてしまいます。仕事と住む場所を失った元農民、現在浮浪者の彼らは、生きるすべを求めて都市へと向かいます。

都市では仕事を見つけられました。しかしこれまで通りとはいきません。そこは自分の土地ではありませんし、生産手段も資本家から使わせてもらっているに過ぎません。つまり、彼らは「賃労働者」になったのです。「賃労働者」となった彼らは「二重の意味で自由な労働者」とも言われます。

この元農民だった人たちが賃労働者へと変身させられてしまうことが、最初に資本を蓄積するため(=資本主義社会が幕を開けるため)の条件でした。なぜならば、資本の回転には労働者の存在が不可欠だからです。工場を稼働するためには賃労働者が必要だった、とも言い換えられます。

これが本源的蓄積論の中心的な内容です。ですが本源的蓄積論の理解は、これだけでは十分とは言えません。さらに先に進む必要があります。

新しい「本源的蓄積」

今日の本源的蓄積論の読解のなかでキーワードとなるのは、「希少性」です。先に述べた「賃労働者」生み出された初めのうちは、まだまだ都市に労働者が十分いるとは言えず、希少な存在でした。地方で農業をしていた労働力が、希少な労働力へと変えられたのです。

その一方で、時を同じくして希少性を与えられたものがあります。水などの天然資源です。マルクスはこれらを「富」と総称しています。

資本主義よりも前の時代では、水は「潤沢」なものでした。川や井戸から汲み出すことができ、今日我々が暮らす日本のようにお金を払って買わなくとも、無料で手に入ったものです。しかし、資本の蓄積が間接的に都市を発展させ、綺麗な水を汚染し、我々が生活に使えるような水は次第に希少性が高められていきます。そして、水は「商品化」されてしまいます。

こういった本源的蓄積がなされる反面で同時に天然資源が希少なものへと(=商品へと)変えられ、資本の回転運動のなかに巻き込まれてしまうのです。

そして最新の本源的蓄積の解釈は、資本主義社会ができる最初だけ起こるのではなく、資本主義社会が成熟期を迎えた今日でも本源的蓄積がなされているというものです。

デヴィッド・ハーヴェイ(2007)は、マルクスが資本主義が始まるその時だけ本源的蓄積は行われると限定的な見方をしていた点を批判します。そうではなく、現代では本源的蓄積が新自由主義というイデオロギーのものとでは、国家の権力を巧みに資本が利用し、これまでとは異なった方法を使って資本の蓄積を行っているのだと言います。

それは例えば国家が推進する女性参画社会が挙げられます。女性の冷遇がなくなることは喜ばしいことではありますが、実際は女性が低賃金労働へと雇用され、新たな搾取の原因になっていることがあります。

しかし斉藤幸平(2020)は、本源的蓄積論を資本主義の原初に限ってみているのは、ハーヴェイの方ではないかと批判します。近年活発に進む『資本論』の再読解で浮かび上がったエコロジカルなマルクス像からは、本源的蓄積を資本主義の本質であるとみなすのがむしろ自然になったのです。ゆえに、本源的蓄積はマルクスの理論上でも、持続可能な社会を考えるにも、その重要性を増していると言えるでしょう。

参考文献

斉藤幸平(2020)『人新生の「資本論」』集英社新書.

デヴィッド・ハーヴェイ(2007)『新自由主義』作品社.

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