【経済思想史概説】アダム・スミスの経済思想、『国富論』について解説【6】

経済思想史概説

この記事でわかること

  • アダム・スミスの生涯と著作
  • 『国富論』の要点
  • 「事物の自然の秩序」とは何か
  • 自由主義と新自由主義の違い
  • アダム・スミス問題とは何か

生涯と著作

今日、経済学の父と呼ばれるアダム・スミス(1723-1790年)は、自身の父の姿を見ることなく、母の愛情を受けてカーコーディに育つ。

14歳の時にグラスゴウ大学へと入学し、ここでスミスやデヴィッド・ヒュームらに先んじて高名であったスコットランド啓蒙の思想家、フランシス・ハチソンから学びを得る。グラスゴウ大学での3年間の後、彼はオックスフォード大学のベリオル・カレッジに留学するが、当時先進的な教育を充実させていたスコットランドの諸大学とは対照的に、宗教的伝統を重んじる保守的な学風は、彼をして「オックスフォード大学では、大部分の教授たちは、ここ多年に亙り、教える振りをすることすらやめてしまっている」(『国富論』)と言わしめる。だがその期間は、後年彼の遺稿となった『哲学論文集』の構想に資する知識収集の機会でもあった。

最愛の母の待つカーコーディに戻ると、『哲学論文集』の執筆を進めるとともに、エディンバラで「修辞学と文学」などに関する公開講義を行い、好評を博する。1751年にはグラスゴウ大学に論理学の教授へと就任、まもなく恩師ハチソンと同じ道徳哲学の教授へと移行する。その際、論理学教授の後任にヒュームを推薦したものの、彼の『人間本性論』が無神論の危険思想として警戒されていたがために、ハチソンからさえも反対されて実現しなかった。

スミスの思想を理解するうえで重要な役割を果たしたのは、彼が『エディンバラ評論』編集者に宛てた書簡で述べられる、ヨーロッパの学会で今後影響を持つと考えられる作品への論評であろう。そこでは、ルソーが、未開人よりも市場社会の不平等にさらされている下層の人々の方が豊かであると主張する『人間不平等起源論』に多くの紙幅を費やして論評している。

このような彼の社会哲学方面への思索の成果は、『道徳感情論』(1759年)としてまとめられる。ルソー、ホッブズの社会契約論という大陸合理論を批判した本書は、大きな話題を呼ぶとともに、スミスに家庭教師として公爵のフランス旅行へと旅立つきっかけとなった。この間、百科全書派やフランソワ・ケネーらの重農主義者と交流は、彼の経済的思想を確固にする。スコットランドに帰国後、数年の執筆期間を経て、『国富論』(1776年)の出版はされる。彼の知名度は瞬く間に高まり、世界的に有名になった。

死の直前、近代地質学で知られるJ・ハットン、潜熱の発見者J・ブラックらに草稿の焼却を頼む。焼却を免れたいくつかの論考と、生前出版された『道徳感情論』と『国富論』のみが後世に伝わった。彼の歴然たる思想家としての地位を築き上げたわずかな著作が、いかに秀逸と評されたか、この一事からも窺い知る。

国富の増大と分業

私有財産制とそれに伴う階級的収奪が社会的問題となっている認識は、スミスとルソーに共通していた。ルソーは『人間不平等起源論』において、収奪の機会を提供する市場社会を批判する。だがスミスは、未開社会の首長よりも文明社会の下層階級に位置する者の方が、多くの商品を手に入れていると反論し、安易にルソーの市場社会批判に同意しなかった。代わって貧困の原因になっているものに、生産力の多寡を挙げる。

「国民の年々の労働が生産し、国民が年々消費する」ところの一切の「生活必需品および便益品」からなる「国富」の水準を定めるのは、一国の「労働の生産力」と「人口に占める生産者人口の割合」であるとする。そのうちの「労働の生産力」はいかにして高められるか。

この問いにスミスは「分業division of labour」だと答えた。一連の生産過程を細かく分節し、それぞれの過程でできあがった生産物を貨幣と順次交換していくこの分業は、それに従事する労働者をある特殊な労働へと特化させ、生産性を拡大させる。

人間の本性に備わる交換

ただし、スミスが想定した交換は、今日の経済学がそうみなすような、合理的で利己的な個人がそれぞれ有利になろうとするためにされる交換ではない。合理的・利己的な個人間でなされる交換を想定する限り、その交換はもしかすると、詐欺かもしれないという不信を払拭できず、ゆえに敵対的姿勢を取らざるを得ない。

にもかかわらず、我々が滞りなく生産物の交換をできているのは、諸個人が利己的な主張を部分的に放棄し、折り合いをつけているからであり、この全員一致の合意にもとづく自然権の放棄、すなわち社会契約が、T・ホッブズをはじめとする合理主義の交換観であった。

資本主義社会に特有な利己心

スミスの交換観はこれとは全く異なっている。交換は人間の本能に備わった性向であり、利己心とは関係がないとみなした。つまり、純粋に交換のみを見た場合、そこに利己心が介在するか否かはどちらでもよい。

ただし、この利己心が介在する交換が近代の経済社会を成立させる基本的要素でもある。人間本性に備わる交換行為reciprocityは、労働生産物が剰余となる資本主義社会へと至って、経済的利益の実現手段としての交換exchangeという特殊歴史的な社会的性格を与えられる。労働生産物に余剰が生じ、手元にある余剰部分を身近な他者と交換できる確実性が、利己心=私的所有意識を生じさせる。

「(見えざる手invisible handに導かれて――引用者)自分の利益を追求することによって、実際に社会の利益を促進しようとする場合よりも、より有効にそれを促進する場合がしばしばある」(『国富論』)

商業社会を成り立たせる重要な要素として、近代社会に特有で人間本性に先天的に宿るのではない「利己心」を捉えていた。

商業は悪か、善か

当時スコットランドで有力であったシヴィック派の社会認識に、スミスはヒュームと共に対峙する必要があった。N・マキャヴェッリらによって作り上げられたシヴィック・パラダイムとは、キリスト教的伝統に基づいて、人間を「宗教的動物」と捉え、宗教的論理から社会秩序を論じる。そこでは同時に、人間は「政治的動物」でもあって、「政治的共同体」に市民としての参加を通じて、人間としての自己完成が可能であるとする。

この保守的なパラダイムにおいて、近代社会に横溢する奢侈品と、利己心に満ちた人間は、社会の道徳退廃をもたらすものとして非難の対象となる。商品交換は、従来的な共同体のなかの人間を、個人的な利益の追求を主要動機とするアトム化した個人へと解体する。シヴィック派はこうした共同性を破壊する商品交換の秩序破壊作用を批判するのであるが、一方でスミスは、新たに作り出されたアトム化、孤立化する人間が、新たなる市民社会の地平で再統合される側面に注目する。

商業活動は平和と安全をもたらすという、ヒュームが『政治論集』で述べた見解を、スミスは『国富論』において高く評価した。

「商業と製造業とは、それ以前には、隣人に対するほとんど絶え間ない戦争状態と、上層の者に対するほとんど絶え間ない奴隷的従属状態との下に生活してきた農村の住民の間に、次第に秩序と善政とを、またそれにともなって個人の自由と安全とを導入した。このことは、ほとんど注意されなかったけれども、商業と製造業との一切の成果のなかで、ずばぬけて最大のものである。わたしが知るかぎりでは、従来このことに注目したのは、ヒューム氏だけである」(『国富論』)

つまり、商業や製造業が農村に善政と秩序をもたらしたという。さらに続けて、封建時代よりも今日の社会が優れている点を述べている。

「封建法は、その国の住民の間に秩序を確立するにも、また善政をほどこすにも、共に十分ではなかった。なぜならば、封建法は、無秩序の原因だった財産や習俗の状態を、十分に変更することができなかったからである。しかしながら、封建的諸制度のもとでのあらゆる暴力をあげてもなしえなかったことを、外国商業と製造業の黙々として目に見えない活動が徐々になしとげたのである」(『国富論』)

封建時代のあらゆる政治的手段がなしえなかった秩序の形成を商業や製造業という経済的な行為が、これを可能とした。

価値・貨幣論

諸個人が交換当事者として市場に出現するためには、所持する財の所有権が明確に認められている必要がある。財の所有者が、誰のものか分からない状態では、そもそも交換は成り立たない。

では人々はいかにこの所有権を手に入れるのだろうか。スミスは、ジョン・ロックが「労働という行為」そのものに所有権の源泉を求めるのではなく、労働の行為に伴う精神的あるいは肉体的な疲労に対する「社会的な配慮」に所有権の源泉を求める。つまり、他者がその仕事を成し遂げるに要する労苦への気配りが所有権の元とみる。

「社会的な配慮」が承認した所有権は、その権利を有する者に他人の所有物との交換を可能にし、それによって他人の所有物に対する支配力=購買力を得る。この交換で基準とされるのは、労働に伴う単純な個人的疲労ではなく、他者によって認められ、共有された疲労感である。よって、より多くの「労苦と煩労」が費やされると社会的に認められた財は、より高い表象的価値を受け取る。

ところで分業が一般的となった社会では、さまざまな「使用価値value in use」を持った財を相互に交換し、生活に必要不可欠な消耗品を入手する。その意味で使用価値は、商品交換の主要な誘因であるといえよう。だが、商品の交換はある限界を持っている。交換を行う当事者たちが、それぞれを満足させる使用価値の商品を持っているとは限らないからである。

そこで貴金属がその他商品からは区別される特別な商品の役割を担って、貨幣となる。この貨幣は、誰が持っているかに関わりなく一定量の他人の労働を支配(購買)する「商業の共通の用具」であるに加えて、購買力を純粋に体現する商品として縦横無尽に交換を媒介し、格別の地位を築きあげる。

その結果、人間と人間がそれぞれの求める使用価値を得るという当初の目的は忘れ去られ、モノとモノとの自律的な交換関係が前面に出てくる。後にマルクスは『資本論』のなかで、この関係性を「物象化」と呼んだ。

商業社会論

スミスは、分業が社会全体の商品生産に行きわたり、商品生産が全面化した社会を「商業社会」と呼ぶ。中世社会では一連の生産活動のうち比較的まとまった作業を職人たちは担当したが、分業が徹底された「商業社会」では労働者が担当する役割は格段に細分化され、よって単純化される。

この単純作業の繰り返しが、分業未発達の頃に要求された職業的技能をもはや不必要なものへと変え、ごく簡単な動作だけが求められるようになる。しかしそのような作業を長時間継続することは、人間性の退廃を引き起こしかねない。

マルクスが「疎外」と呼んだこの人間性の抑圧を、スミスもまた強く意識していた。分業によって生産力が拡大し、豊かな社会が実現するのは間違いないにしても、この点は改善される必要がある。そこでスミスは、必要最低限の公共の福祉、例えば教育や軍隊は、国家によって用意されるべきだと考える。

スミスが経済的自由主義者の始祖として顧みられる今日、これは忘れられがちなことである。ましてや今日支配的な新自由主義を信奉する者が、ときに教育制度をも民営化しようとすることを考えれば、彼らとスミスの考えの相違は歴然としている。

重商主義批判

今日の新自由主義者は度々スミスを引き合いに出して、自由貿易の正当性を訴えるが、国家による自由貿易の贔屓こそ、『国富論』においてスミスが批判しようとしたことであった。そこで批判の対象とされるのは、もちろん新自由主義ではなく、重商主義にほかならない。

重商主義的政策の究極的目的は、特定階級を利する貿易差額の取得にある。そこでは、国家の下層階級にある労働者たちの利益は忘れ去られている。スミスの重商主義批判には、このような国家の公平性に対する不信が根底にある。

では下層階級を含めた国民全員を富ませる方法として、スミスはいかなる方法を提示するだろうか。彼は、自由な放任であると答えた。正義の法を犯さない限りで、階級を問わず誰もがみずからの利益を追求する自由競争が可能となれば、生産性は向上し、多くの生活必需品すなわち国富が蓄積されると考えた。

「事物の自然の秩序」とは何か

さらに重商主義的政策だけではなく、同職組合、徒弟制度、定住法をも批判の対象としている。なぜならば、これらは「自然的自由の制度」を完成させるためには不必要な国家の介入であったからである。

「特恵あるいは制限を行ういっさいの制度がこうして完全に撤廃されれば、簡明な自然的自由の制度がおのずからできあがってくる。そうなれば、各人は正義の法を犯さないかぎりは、完全に自由に自分がやりたいようにして自分の利益を追求し、自分の勤労と資本をもって、他の誰とでも、他のどの階級とでも、競争することができる」(『国富論』)

自由競争の条件として挙げられている「自然的自由の制度」とは何であろうか。それは、経済の本来的な「自然」の構造をさす。「自然」の構造=「事物の自然の秩序」とは、資本投下が第一に確実で安全な身近な土地で行われ、それは農業を発展させる。次いで、手工業などの製造業が発展し、農産物や工業品を交換、流通させるための商業も発展する。最後に、国内市場が飽和した後に外国貿易へと資本が投下される。この順序を、「事物の自然の秩序」と呼んだ。『国富論』では次のように述べられている。

「利潤が等しいかまたはほぼ等しいばあいには、たいていの人は、自分たちの資本を製造業または外国貿易に使用するよりも、むしろ土地の改良や耕作に使用するほうを選ぶであろう」(『諸国民の富』第三編、岩波文庫版)
「あらゆる個人は、自分の資本をできるだけかってを知っているところで、したがってまた自分ができるだけ多くの国内産業を維持するように、使用しようと努力するのである」(同、第四編)

この構造こそが経済の自然な状態であり、それゆえに安定性を持っている。今日の自由貿易礼賛者が、社会が多少不安定になろうとも利潤の最大化、効率化、生産力の向上を目指すのとは対照的である。スミスは特権階級のみならず労働者階級をも含めた、国家にとって何が最良かを徹底して考え抜いた思想家であるといえよう。

スミス経済思想の限界

しかし、スミスはその後の資本主義社会の進展の後に来る階級間格差の拡大までは予見していなかった。スミスの想定では、分業の発達によって国富が増加すれば、それにしたがって、資本家階級のみならず労働者階級もまた、豊かになるはずであるが、現実はそうではなかった。

一国の富が増加しても労働者階級の快楽が増加しない状況が、現実のものとなってくる。貧困問題を歴史貫通的な分業労働がすべて解決すると過信した点に、スミス経済思想の限界がある。マルクスは後に、我々に豊かさをもたらす歴史貫通的な分業労働から、資本主義社会に特殊な労働形態を取り出して貧困の問題をみる。

『道徳感情論』

1759年、スミスの『国富論』と並んで主著とされる『道徳感情論』が出版される。そこで示された人間像は、「孤島に一人住む」のではなく「社会に住む」人間であり、他人からどう見られているかにこだわってしまう人間であった。他人から承認を得たいがために、他人を意識し、社会的規範を身につけた秩序形成的な主体になってしまう。

しかし、この他者への関心ゆえに、抗争や対立を克服する契機「公平な観察者impartial spectator」が社会に備わる。公平な観察者とは、ある行為に対して、それが善いことなのか、悪いことなのかを判断してくれる、自分ではない誰かである。この社会的に作り出された存在=誰かを、市民社会に暮らす人々が、それぞれの内なる心へと秘めているがゆえに、共感性に由来する社会の秩序が保たれている。

アダム・スミス問題

ここで思い出されたいのは、『国富論』では近代社会が生み出した利己的な人間が、社会の発展を、ひいては社会の秩序をもたらす鍵であった点である。これは『道徳感情論』の立場、共感性に基づく感情的コミュニケーションが社会の秩序をもたらすとする立場と食い違うのではないか。この矛盾は、アダム・スミス問題と呼ばれる。さしあたり提出されている回答には、『道徳感情論』で示された共感性は、道徳判断の基礎となるのであり、人間行動の動機となる利己心とは別個の問題である、というものがあり、一応の解決がなされている。

スミスの社会哲学に残る疑問点はもう一つある。それは、人間相互の感情的関係からは、それが生み出す慣習や世論における偏見性を克服できない点である。共同体内に共有される感情で判断する限り、たとえそれが偏見に基づく感情であっても自己批判が難しい。これを克服するために晩年のスミスは『道徳感情論』の改訂を試みるが、それは叶わなかった。

おわりに

新自由主義者たちは、スミスをみずからの始祖として仰ぎみるが、それは甚だ見当違いなどころか、スミスが批判しようとしたのは新自由主義者たちが好むところの過剰な自由貿易である。スミス経済思想には、今日の経済学に通じる論点を多分に含んでおり、読み直される意義がいよいよ深まってきているだろう。

参考文献

  1. 佐伯啓思(1999)『アダム・スミスの誤算』PHP新書.
  2. ――(2012)「第5章 アダム・スミスを再考する」『経済学の犯罪』講談社現代新書,pp.141-172.
  3. 鈴木信雄(2012)「1-4アダム・スミス 慣習と秩序――商業社会における自生的秩序の解明」大田一廣,鈴木信雄,高哲夫,八木紀一郎編『経済思想史』新版,名古屋大学出版会,pp.51-64.
  4. 松原隆一郎(2016)「2章 古典派の成立――アダム・スミス」『経済思想入門』ちくま学芸文庫,pp.39-60.

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