高度経済成長期に手に入れた”豊かさ”とその代償:水俣病と黒部ダム

随筆

戦後から七十余年、未だ十分とは言えないが、週末に郊外へと出かけたり、少し良いものを食べたりする光景が当たり前になったという点では、――それがまだ当たり前ではない人が大勢いるという問題は忘れてはならないにしても――私たちは恵まれた環境にあるといえよう。だが、そこに至るまでに私たちが何を失ったのかは、人々の関心外である。ここ記事では、豊かさの代わりに失ったものとは何なのか、関心を向けるささやかなきっかけを提供したい。

水俣病と池田勇人

多くの犠牲を払った太平洋戦争の先に待ち受けていたのは、すべてを失った貧しさに耐え凌ぎ、ひたすら再起に向けて奔走する時代であり、続く高度経済成長の“豊かさ”を取り戻すに至る一連の歴史は、美談として得意げに語られる。人々は懸命に働いた。その献身が実を結び、今日の我々は家電製品に囲まれたお気楽な暮らしに身を委ね、週末には郊外へとレジャーを楽しみ、将来の成長を疑うことなく安心して眠れるのである、と。だが、ときとしてその輝かしさは、日本史の表舞台と、支払った代償――看過しようにもできない、人間と自然に対する破壊と収奪――との関連性を見えなくする。

高度経済成長期にさしかかり、閉塞感を打破した雰囲気に祝福された1960年、かの有名な「国民所得倍増計画」が池田内閣により閣議決定される。そして10年後には国民一人あたりの消費支出を2.3倍になった。国民は沸き立ち、レジャー、マイカー、家電へと向けられる彼ら彼女らの欲望を、みずからの思うままに果たす。かくして池田勇人は、国に“豊かさ”をもたらしたその人として、絶大な信頼を受け取った。それは今であっても変わらない。教科書に描かれる彼はまさに、戦後復興の立役者であって、それ以外ではない。
だが、彼のもう一つの顔を見田(1996)は指摘する。
 


一九五六年には、熊本大学医学部の研究班によって、異常の肥料工場の排水にあることがほぼ確実であることがつきとめられた。(中略)これらの研究を総合して、五九年一一月一二日、厚生省の水俣病食中毒部会は、「水俣病は水俣湾およびその周辺に生息する魚介類を大量に摂取することによって起こる主として中枢神経系統の障害される中毒性疾患であり、その主因をなすものはある種の有機水銀化合物である」と答申をおこなった。この時点でただちにこの肥料工場(チッソ水俣工場)がアセトアルデヒド関係の操業を停止していれば、「患者は何分の一かに抑えられていたはずである。」(原田、前掲書)
けれども、この処置はされなかった。翌一一月一三日の閣議で、厚生大臣からこの答申が報告されると、時の通産大臣池田勇人氏は、水俣病の原因が企業の郊外であると断定するのは「早計」であると異例の発言をする。肥料生産の関係工程の操業を停止することは、ここに強力な政策的意思をもって「留保」されたまま、その後九年間にわたって、排水の排出は続行される。
※前掲書とは、原田正純『水俣病は終わっていない』をさす。
 

〔見田1996:pp54-56〕

10年の長期的経済計画について明示した「所得倍増計画」を可能にする、柱となる二つの政策は、「農業構造改善事業」と「全国総合開発計画」であった。つまり、「所得倍増計画」を可能にするためには、肥料を生産する工場を停止し、有毒排水を止めることはできなかった

黒部ダムと使い捨てられる労働者

自然と人間の深刻な破壊を行ったにもかかわらず、今では愛国心が犠牲を正当化し、美談に仕立て上げられている顕著な例に、黒部ダムが挙げられる。高度経済成長のもと急速に増大する都市での電力需要は、当時の発電供給を逼迫した。そこで関西圏の需要を補うために建設されたのが、通称「くろよん」であった。その建設では、ダイナマイトによって山を切り崩す大規模な自然の破壊と、従事者171人の犠牲をうむ。それほどの代償を支払わなければ、日本経済のボトルネックを解消し、さらなる高度成長を実現することは不可能であった。だが、この自然破壊と尊厳軽視の歴史は、今ではほとんど顧みられる機会を得ないか、あるいは国家の繁栄への献身として、美しく扮装されて語られるかである。

1970年頃までは、まだ享受する“豊かさ”がこれらの犠牲なくして成り立ち得ない認識が、少なくとも知識階級のなかには、良心の呵責とともに共有されていた。映画「黒部の太陽」でも、もとより死者が出るという分かりきった事実がありながら、その建設へと踏み込む非人間的な所業を非難するシーンが描かれている。その当時の時代性について述べるものとして、小熊英二(2012)は第二次学生運動の特徴を、豊かさなるものが資本権力の暴力性と一部の人と自然がそれから虐げられることを前提にしているとの認識と、やがては卒業し、それらのシステムへと絡め取られ、従属しなければならない将来への抵抗であると述べている。戦後復興で手に入れた豊かさを、(たまたま犠牲になるのを免れたに過ぎない)私たちは享受しても良いのだろうか、という懐疑を彼らは拭えずにいた。
 

そして現在

これらの問題はまったく過去のものであって、残念にも人口が減少へと転じ、経済成長もほとんどなせずにいる私たちとは関係がないだろうか。そんなはずはない。政府は経済規模の維持をはかるために、交流人口の増大を目指すという。もしそれが実現されるとするならば、社会の移動性は増大するであろう。だが、現代日本の交通事情――公共交通の軽視と権力から愛される私的に所有される移動手段、自動車に特徴づけられる――を鑑みれば、社会が支払わなければならない代償が少なくないことは自明である。さらにいうならば、高度経済成長期の日本が、恩恵を受け、同時に代償を支払う主体でもあったのが、今ではグローバルサウスと呼ばれる構造へと前提が変わっている。つまり、グローバリゼーションがより進展した今日では、代償を支払う主体は国内の低層階級に加えて、より国際的に発展途上国の低層階級が付け加えられているのである。

私たちはこのような構造のもとでしか獲得し得ない“豊かさ”に対して、徹底して拒否する立場を示すべきなのではないか。
 
参考文献
小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年。
見田宗介『現代社会の理論』岩波新書、1996年。

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